2005年10月01日

ロッド・スチュアート&ダイアナ・ロス

http://www.billboard.com/bb/yahoo/search/article_display.jsp?vnu_content_id=1001219011

BBSでも話題にしましたが来月発売のロッドのアルバムでダイアナがデュエットで参加しています。スタンダードアルバムは回避してたのですが、今回は買ってみようかなと思います。
Suzuさんの情報によるとフランク・シナトラ&バーブラ・ストライサンドのゴージャスな君あわせでもこの曲がレコーディングされているそうです。
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2005年09月21日

Love Child/I'm Livin' In Shame ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス

****Web版Everegreenと同時更新です。Web版には欄外コラムも設けてます。***
 あいもかわらず温故知新な音楽生活を続けていましたこの夏、とりわけ1960年代後半のダイアナ・ロスディオンヌ・ワーウィックアレサ・フランクリンをCDプレイヤーに載せることが多く、例えばディオンヌのCDを聞いているとじゃあこの年にはアレサはどんな曲を歌っていたのだろうといったように彼女達の歌を横聞き(造語です申し訳ありません)しだすと止まらないといった毎日でした。この時期に大いに盛り上がった公民権運動に後押しされ、それまでのアフロアメリカンの活躍の枠を打ち破ぶる先駆者として芸能・音楽界のフロントローを激しく競い合っていただけに歴史的レコーディングが多く、必然的にお互いがお互いを激しく意識していたのも作品から伝わってくるのでついつい夢中になってしまいます。いつかはこの時期の偉大なディーバ3人の活動の比較を自分なりにまとめてみたいなという野望はあるのですが、知識や文章力の不足はもちろん、資料も充分ではないのでなかなか手がつけられません。それでは、まずは、今までに一番聞き込んできたダイアナの、ということはスプリームス時代ということになりますが、ヒット曲を少しずつ紹介しながら、頭の整理をしていければと思い立ち、「スプリームスのシングル」とういシリーズをキックオフした次第です。


 で、最初がこの2曲ですかと突っ込みを入れられそうですが、「LOVE CHILD」と「スラムの小鳩/I'M LIVIN' IN SHAME」、彼女達の絶頂期からすこしずれたダイアナ在籍時後半の2曲のヒット曲をご紹介したいと思います。1964年に「愛はどこへ行ったの/WHERE DID OUR LOVE GO」で初めてビルボードの1位を獲得して以後、破竹の勢いでヒットチャートに旋風を巻き起こしたザ・スプリームスですが、1967年夏から1968年にかけて、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスにグループ名を正式に変更するのと時を同じくしてオリジナルメンバーで本来はリーダー格だったフローレンス・バラードが脱退、そしてザ・スプリームス躍進の最大の功労者であるソングライター/プロデューサーチームのホランド=ドジャー=ホランドのモータウンからの独立などのマイナス要素も重なって、ヒットチャート上で一時の勢いにかげりが見えるようになっていました。それ以前のザ・スプリームスのヒット曲のすべてはH=D=Hが手がけていたわけですが、彼らが去った影響をモータウン所属アーティストのなかで一番受けてしまったのがザ・スプリームス(とフォートップス)だったからです。とはいうものの人気そのものは不動で、エド・サリバンショーなどの人気テレビ番組には準レギュラーなみに頻繁に出演し、テンプテーションズとユニットを組んだコンサートは大好評でこの夢の組み合わせによるスペシャルテレビ番組制作と共演レコードの製作が同時進行ですすみ、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスとなってから初の海外公演となるイギリスやドイツでのコンサートを成功させ、人気者につきものの殺人的なハードスケジュールはあいかわらずでした。

 しかし、モータウンの総帥ベリー・ゴディJr.はスプリームスがヒットチャートのトップから1年も遠ざかっていることに大きな危機感を持ちました。ザ・スプリームスがモータウンの稼ぎ頭であったことはもちろんですが、わざわざグループ名をダイアナ・ロス&ザ・スプリームスに改名したのは、近い将来ダイアナ・ロスがソロ活動を始めるにあたって、今のうちにザ・スプリームスの名前を使って彼女を最大限売り込む腹積もりであったはず。しかし、このままではダイアナ独立を前にスプリームスそのものの勢いがなくなってしまいせっかくの妙案も水の泡になってしまいそうになったからでしょう。彼はH=D=Hのような強力なソングライターチームを作るべく、9月のある日、パム・ソーヤー(パメラ・ソーヤー)、R.ディーン・テイラー、フランク・ウィルソン、デック・リチャーズの4人のソングライターを呼び集め1週間でダイアナ達にNo.1ヒットになる新曲を完成させるように指示をしました。デトロイトのポンチャートレインホテルに缶詰にされた4人はそれぞれの個室でアイデアをひねり出しては集まりそれを練り直すという作業を繰り返し曲を書き上げ、その週末にはスティービー・ワンダーの「FINGERTIPS pt2」や「UPTIGHT」の作曲者でプロデューサーのヘンリー・コスビーがプロデューサーとして加わってバックトラックを完成、翌週の月曜日にバックトラックのミックスダウンが完了、コーラスを加え、その夜にはダイアナのリードボーカルのレコーディングを終了させるというまるで突貫工事の作業をやり遂げます。ちなみにこのソングライター/プロデューサーチームはThe Clanと名づけられてクレジットされています。

 ベリー・ゴディJr.が曲の完成を急がせたのには理由がありました。9月30日にダイアナ・ロス&ザ・スプリームスがエド・サリバンショーへ出演することが決まっており、ここで新曲を披露させるという計画があったからでした。そして9月20日にダイアナのリードボーカルがレコーディングされて完成した新曲「LOVE CHILD」を急遽プレスし、モータウンが持つ独自の配給網を利用して、10日間という短い準備期間でエド・サリバンショー当日に全米中のレコード店で発売するというウルトラCをやってのけたのでした。これは大手レコード会社にはできないインディーレーベルであることを逆手にとった離れ技。さらに、この曲には全米中があっと驚く仕掛けが用意されていました。エド・サリバンショーの当日、新曲「LOVE CHILD」を歌うダイアナ達の姿にお茶の間の視聴者は唖然としたことでしょう。スプリームスのトレードマークといってよい故ルーサー・ヴァンドロスも毎回テレビの前で楽しみにしていたという華やかで豪華なドレスやウィッグを脱ぎ捨て、ダイアナ達は「Love Child」と書かれた黄色のシンプルなスウェットに膝丈でざくざくと切り裂かれたコットンのジーンズ、靴を履かずにはだし、髪型はショートアフロといった今までのスプリームスの姿とはかけ離れたいでたちだったからです。

 これには理由がありました。ティーンエイジャーならではの恋の喜びや悲しみを歌った従来のスプリームスのヒット曲と違って、「LOVE CHILD」はタイトルどおり「私生児(Love Child)」をテーマに社会的なメッセージが含まれた歌詞の内容になっていたからです。ベリー・ゴディJr.が公民権運動を商売に利用したという意見もあるでしょうが、この年の4月にはキング牧師が暗殺され、一部のアフロアメリカンは敗北感すら感じ、誰もが「長い暑い夏」と言われた公民権運動が下火になっていくのを感じていた、このタイミングでスプリームスが社会性のある歌を取り上げたことは、今、私達が想像する以上のインパクトがあったのではないでしょうか。私生児として生まれ、社会的な差別を受けながら育った少女が今また妊娠してしまったために恋人を失おうとして「生まれてくる子供をLove Childにしないで」と訴える歌詞の内容は、表面だけを読むとティーンエイジャーの安易なセックスを慎むようにといった道徳的なメッセージに思えますが、これは白人黒人と言ったマーケットの壁を乗り越えて未曾有の成功を収め人種の融和の象徴的な存在であったスプリームスが安易に「黒人だから貧しい」「黒人だから差別されている」と歌って人種対立を刺激するようなことができないというジレンマを抱える中で精一杯「社会的弱者として生まれ育つことの厳しさ」をアピールするために「私生児」というテーマを表面的に借りているにすぎないのではないでしょうか。サビの部分のLove ChildをBlack Childに読み替えれば「Black Child 望まれて生まれてきたわけではない」「Black Child 社会的にはいつも2番目に扱われる」「Black Child 他の人たちと区別される」とアフロアメリカンが当時考えていたであろう思いにシンクロする歌詞になっていることがわかります。「LOVE CHILD」は多くのファンの心をつかみ2ヶ月かけてチャートを上りつめ、11月24日付けビルボードでビートルズの「HEY! JUDE」に替わって、スプリームスにとっては1987年5月に「THE HAPPENING」以来、実に1年半ぶり11曲目のNo.1に輝きます。

 さて、なにかと歌詞ばかりが話題になる「LOVE CHILD」、個人的にも最初にスプリームス(当時はシュープリームス)を聞き出した頃はたくさんのヒット曲のうちの1曲で彼女達が初めて社会的なメッセージを歌った程度の思い入れしかありませんでした。やはり、多くのカバーナンバーがあり、日本で育った中学生にでもどこかに耳なじみがあった、H=D=Hの手がけた華やかで親しみやすいヒット曲群のほうを好んで聞いていました。それは当時のミュージックシーンの影響もあったと思います。1980年代といえばモータウンのリバイバルブームの真っ只中、このブームで脚光を浴びていたのがたとえばフィル・コリンズがカバーした「恋はあせらず/YOU CAN'T HURRY LOVE」やキム・ワイルドがカバーした「YOU KEEP ME HUNGING ON」などに代表されるH=D=Hが活躍した1960年代半ばごろのモータウンのヒット曲であったりサウンドであったりしたからです。しかし、HIPHOP全盛の今、フリーソウルというジャンルが確立し、サンプリングなども含めて注目されるようになったのが1960年代後半から70年代初頭にかけてのモータウンサウンド。流行と言うのは恐ろしいもので、モータウンサウンドを支えたファンクブラザーズに光を当てた2002年の映画「Standing In The Shadows of MOTOWN」でもそういった現在のミュージックシーンを反映し、モータウンサウンド全盛だった1960年代中ごろよりもむしろそれ以後の曲が重用されていました。「LOVE CHILD」はサンプリングが流行しだしてすぐ、1993年にいち早くジャネット・ジャクソンの「YOU WANT THIS」に使われています。サンプリングされたイントロの部分を含めたギターのかっこよさが秀逸なアレンジ。アレンジャーンのポール・ライザーが得意とするリズムセクションにストリングスが絡んでくる1970年代のモータウンの得意のパターンもこの曲で原型が誕生したのではないかな。スプリームスらしからぬシャープなバックコーラスは実はアンダンテスによるもので、メリー・ウィルソンとシンディー・バードソングは参加していません。アンダンテスはファンクブラザーズと同じくヒッツビルUSAのAスタジオから生まれた数多くのヒット曲にその声で貢献しながら陽のあたることがなかった日陰の存在。フランク・ウィルソンによれば「彼女達を起用したのはスケジュール的な問題で時間さえ余裕があればメリーやシンディーのコーラスを使っただろう」と言っていますが、現実には「LOVE CHILD」のひとつ前のシングル「愛の終着駅/SOMETHING YOU NEVER GET USED TO」からバックコーラスはメリーとシンディーではなくアンダンテスが担当、以後のシングルもテンプテーションズとの共演曲を除いてメリーとシンディーの声がシングルのA面で聞かれることはありませんでした。ちなみにアンダンテスはマーヴェレッツやヴァンデラスに替わって覆面コーラスとしてレコーディングしていて、モータウンの3大ガールグループを名乗ってレコーディングしていることになります。

 注目したいのは、俗に言うところのAメロBメロサビにこの曲を分解して考えるとAメロBメロの部分にはメロディーが譜割してあるもののところどころ印象的な韻を小気味よく聞かせながら基本的に話し言葉に近い抑揚をつけてダイアナが歌詞を歌っているという点です。もともと彼女は話しているのと歌っているのとの境界が非常にあいまいで常に話しながら歌い、歌いながら話すといった表現を得意としていますが、「LOVE IS HERE NOW YOU ARE GONE」(1966年 最高位1位)や「AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH」(1970年 最高位1位)のモノローグ調と一線を画しているのはリズムのキャッチの仕方。これって今でいうところのラップなんじゃないですか。曲を支配する強力なリズムにラップ、そして印象的なサビのコーラスと現在のHIPHOPの原型がほぼ揃い当時としては斬新だったのではないでしょうか?しかもラップの内容には社会的メッセージが含まれていて銃や暴力の代わり(この場合はギャングの抗争ではなくキング牧師の非暴力主義に呼応する形で)として言葉を使っているなんてまさにって気がしてきます。ジャネットがいち早くサンプリングしたのも伊達じゃないですね。これのどこがラップやねん?HIPHOPやねんと思われた方、この曲の続編となる「スラムの小鳩/I'M LIVIN' IN SHAME」になるとさらにその部分がわかりやすく強調されています。それもあって今回は文字数超オーバーになることを覚悟で2曲同時紹介にしました。

 「スラムの小鳩」は続編とはいったものの、「LOVE CHILD」リリース後、今度は12月に放送が控えたモータウン制作の初テレビスペシャル番組「TCB」を盛り上げるべく、テンプテーションズンとの共演アルバム「Diana
Ross & The Supremes Join Temptations」(最高位2位)のリリースやそこからのシングルカットとなった「君に愛されたい/I'M GONNA MAKE YOU LOVE ME」(最高位 2位)のリリース(実は「LOVE CHILD」が1位になるのを待つようにしてアルバムより2ヶ月遅れのリリース)、さらに「TCB」(最高位 1位)のサウンドトラックそしてさらにさらに「LOVE
CHILD」をフィチャーしたアルバム「Love Child」(最高位 14位)のリリースと、ファンの財布が悲鳴を上げるようなリリースラッシュを経て、翌年1969年の1月にリリースされています。同じくThe Clanとしてソングライター/プロデューサーがクレジットされていますが前回のメンバーからはデック・リチャーズが抜けています。個人的な注目点は「LOVE CHILD」よりさらにスピードアップして激しくなったラップ部分とそのラップ部分とサビのコーラスの切り替えの激しさ、スタイルとしては完全にHIPHOPじゃないですか(ちとしつこいですが)。ダイアナが歌い上げるタイプでないことが効を奏してますますラップ度が増しているように聞こえるのは私の空耳でしょうか?

 しかし、世間的にはどうしても「LOVE CHILD」の2番煎じといった感がぬぐえずビルボードでの最高位は10位にとどまりスプリームスとしては小ヒットにとどまります。同時期にテンプテーションズの同じく社会的メッセージが話題となった強力なサイケファンクナンバー「CLOUD
NINE」(最高位 6位)がヒットしていたことも、比較したときにあらゆる意味ひ弱さが目立ってしまったのではないかと考えられます。まずサウンド的に「LOVE
CHILD」に比べてギターが弱い。これはデック・リチャーズが抜けた影響でしょう。彼はジャクソン5の初期のヒット曲ではメンバーに代わって覆面ギタリストとしてレコーディングではギターを担当しており、あの「I WANT YOU BACK」の印象的なイントロも彼の腕によるものであると知れば実力は押して測るべし、そうなってくると、「LOVE CHILD」のイントロの印象的なギターも彼ではないかという疑いも。ちょうど時期的にファンクブラザーズのギタリストが入れ替わっている時期なので可能性があるのではないでしょうか。そして歌詞が多くのファンの共感を得るというものではなかったのも問題でしょう。

 正直言うと、最初にスプリームスを聞き出した頃はどことなくセンチな香を漂わせる「スラムの小鳩」のほうが「LOVE CHILD」より好きでよく聞いていました。しかし、私は甘かった。歌詞をカードでチェックせず(英語力にも問題がありましたが)、単語の聞き取れる範囲で「昔は貧しい生活の中で身なりも気にせずがむしゃらに働く母ママを恥ずかしいと思い、友達にも知られたくなかった、でも今、私はやっぱり貧しさの中で生きていてあのときのママの気持ちがわかるわ」という「貧しさの連鎖」という甘っちょろいテーマをでっち上げて勝手に聞いていたのです。これは邦題にある「スラム」という言葉に引きずられて「I'm living in shame」の「shame」をスラムのことを「shame」とも言うんだと誤解してたことが一番の原因でした。しかし、今、少しはましになった英語力で歌詞を読み返すととんでもない歌の全貌が見えてきたのです。「ママがパンを焼くときはいつも、古いぼろ布のようなスカーフをまいて、ストッキングは丸まって足もとまでずり下がってて、ぐちゃぐちゃの服を着て、どんなにがんばったとしても汚く見えてしまってた。なべから直接食べてたので、フォークや食器を使うこともなかった。私はいつもママがいいとこの友達に見られてしまうんじゃないかと恐れていた。ある日大人になったときにママみたいに自分がなってしまうんじゃないかと恐れていた。」ここまでは表現は過激ながらも想像していたとおりの内容なんですが、ここから少しずつずれていきます。「街を離れて進学すると、私は自分で別の自分を作り上げた。私は上流階級の生まれだということにした。私はメイドと召使に世話されていたと。きっと正気じゃなかったのよ。私はこんな嘘までついてしまった。ママは週末旅行のスペインで亡くなったと。本当のママは家からすらでたことない。まして国境を越える旅行などしたことない。」ちょっと内容が歌詞のとおり狂気じみてまいりました。しかし、こんなことで終らないのです。「私は上流階級の男性と結婚した。彼にはママのことを知られたくなかった。だからママには2歳になる孫がいるというのに一度だって会わせはしなかった。」アフロアメリカンの若い女の子達のロールモデルであるダイアナがこんな歌を歌ってもいいのでしょうか。こんなことなら未婚の母になってくれたほうがましだと世間の親は思うのではないでしょうか。そしてさらに畳み掛けるように不幸がこの歌で歌われます。「ママが死んだと電報が届いた。手作りジャムを作ってる最中だったそうだ。ママは死ぬ間際にこう絶叫した"私のそばに娘がいてくれるのが見えるわ"。」書いているだけで悲しくなってしまうお話ですね。「ママはいつもベストを尽くしてくれてた。料理も掃除も、汚いドレスで床をはいつくばるようにして一生懸命働いてた。」死んでからわかる親心でしょうか。「ママ、私の声が聞こえる?私はあなたがベストを尽くしていたと分かったの。ママが恋しい。あなたは私を許してくれないかもしれな。私のしでかした過ちを。私は恥ずかしい人生を生きている。」そう「I'M LIVIN' IN SHAME」は「私は恥ずかしい人生を生きている」という解釈が正しかったのではないかと思います。歌詞を読むと「恥ずかしい」ではすまされないとんでもない話です。これだけ長々と過激なラップで歌いきる、過激と言うか逆方向にすごすぎる。ラナ・ターナー主演の映画「Imitation Of Life (邦題"悲しみは空の彼方")」にインスパイアされた歌詞だそうですが、メロドラマでは許されても、こともあろうにスプリームスが「LOVE CHILD」の次に歌う曲のテーマではないでしょう。これでは多くの共感を得なかったのも仕方の無い話です。

 奇妙な話だと思われるでしょうが、私はこのひどい歌詞の詳細をしって知ってさらに「なんていかした曲なんだ」と思ってしまうのがダイアナ・ロスファンの性。みなさまも、ぜひ、こういった歌詞を知った上でこの過激な2曲を聞き比べていただきたいですね。残念ながらダイアナ・ロス自らのペンによる自叙伝によると、「この2曲はまるでまったく他人の人生を歌わなければならなかったためなじめなかった、好きではない」そうです。はいそうでしょう、ご理解申し上げます。(2005年9月)



収録アルバム

スプリームスのコンピレーションはいろいろリリースされてますが
この2曲が収録されていて比較的リマスターが行き届いているのは
「ANTHOLOGY」(☆☆☆)
ただし「スラムの小鳩」はマスターがかなり痛んでいるようで
良いリマスター盤でも音のひずみが大きいです。
(初期のCDは聞くに堪えないほどひどかったのでかなりましなのですが。)
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Love Child/I'm Livin' In Shame ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス
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2005年09月17日

ダイアナ・ロス 自叙伝・・・

 少しダイアナ・ロスについて書きたくて、久々に自叙伝取り出して読んでいたのですが、自叙伝としてはひどい内容ですね。ちゃんとしたゴーストライターつけずに、彼女がテープに吹き込んだものをそのまま字に起こしたような内容で、記録として何の役にもたたない。時代はあっちいったりこっちいったりしてますし、彼女の記憶も都合よくあやふやだったりとか。でもその分、彼女のキャラクター、濃さは伝わってきますが。なにより驚いたのはこれが出版されて10年もたってることです。最近、時間の流れの速さに本当についていけなくなっています。
posted by Alex at 00:57| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイアナ・ロス | 更新情報をチェックする