****Web版Everegreenと同時更新です。Web版には欄外コラムも設けてます。***
スプリームス(シュープリームス)のシングル紹介第3弾にしてもうこの曲ですかと今回もつっこまれそうですが、2003年に公開されたされた映画「Only the Strong Survive/ソウル・サヴァイヴァー」の中でスプリームスのオリジナルメンバー、メアリー・ウィルソンが「ダイアナのスワンソングです」と歌う前に紹介するまでもなく、ご存知の通りダイアナ・ロスがソロシンガーとしてのキャリアをスタートさせるためにグループを脱退するタイムングで1969年10月にリリースされ、スプリームスにとって12曲目にして最後のNo.1 となった大ヒットナンバー。「SOMEDAY WILL BE TOGETHER/またいつの日か」というタイトルから、キャンディーズの「微笑みがえし」やおニャン子クラブの「じゃあね!」のようにダイアナの卒業という一大イベントにあわせて用意されたかと思ってしまいがちですが、レコーディング完了した時点ではモータウンレコードの総帥ベリー・ゴディーJr.はダイアナ・ロスのソロデビューシングルに予定していたというのですから驚き。しかもプロデューサーのジョニー・ブリストルによるとレコーディングスタジオでダイアナがスプリームスから脱退してソロデビューすることを知っていたのはダイアナとベリーだけで、ブリストルすら知らされていなかったというのですから話とは聞いてみないとわからないものです。
この曲のオリジナルはそのジョニー・ブリストルが1961年に共作者のジャッキー・ビアーズとレコーディングしてトライ・ファイからリリースされています。もうひとりの作曲者であるムーングローズのリーダー、ハーベイ・フークアとベリーの姉グウェン・ゴディー(ふたりは結婚もしています)がこのトライファイのオーナーで、後にこのレーベルをふたりがベリー・ゴディーに売却したので、マービン・ゲイなどとともにジョニー・ブリストルもモータウンへ移籍してきたそうです。ブリストルはモータウン所属のジュニア・ウォーカーにこの曲が合うのではないかとバックトラックの制作にかかり、自分で仮のボーカルを入れます。ベリー・ゴディがこれを気に入りぜひダイアナ・ロス&ザ・スプリームスに歌わせようということになりました。この曲はスプリームスの一連のヒット曲にくらべてR&B色が強かったのでブリストルにとってはこれは思ってもいない話でした。彼が言うにはこのときゴーディーに聞かせたデモトラックの音がそのまま完成された「SOMEDAY WE'LL BE TOGETHER」に使われているほど、デモトラックとはいってもストリングスや人気セッションボーカリストのマキシーン&ジュリア・ウォーターズによるバックアップコーラスが含まれた完成度の高いものでした。そこで結果的にこのレコーディングにメリー・ウィルソンとシンディー・バードソングは参加せずにダイアナがリードボーカルを録音するだけとなったようです。
ダイアナはハードスケジュールのせいか、それとも今までとちがったR&Bフレバー溢れるバラードという難曲だったせいか、はたまたソロデビューを目前に控えてナーバスになったせいか、とにかく調子がなかなか上がらず苦戦します。そこでブリストルはゴーディーに対して自分が別のブースに入り、ダイアナのヘッドセットにだけ聞こえるように一緒に歌ってみたらどうかと提案します。これが功を奏して、ブリストルのボーカルに触発されたダイアナは調子を上げていきます。そしてそのときのブリストルとのハーモニーが素晴らしかったので彼の歌声の一部も残された形で名曲の完成となりました。この曲でのダイアナのボーカルは他のスプリーム時代のヒット曲とことなり、成熟した大人の女性の魅力が備わってきていること垣間見せています。モータウンの曲はどの曲もそうなんですが、ボーカルそのものに魅力がなければこれだけ繰り返しで同じメロディーやフレーズが続く曲を最初から最後まで聞き手を飽きさないようにするのは至難の業、実は非常に歌い手を選ぶのではないかといつも感じていました。全体的に押さえたトーンのボーカルでありながら少しづつ微妙にダイアナが高揚していくところが秀逸で、このあたりはジョニー・ブリストルがボーカルサポートした効果が一番現れている点ではないかと思われます。POPよりと非難の矢面に立たされたことも多いダイアナが歌うR&Bも、ちっとも悪くはないじゃありませんか。
モータウンの長年のスタッフ、シャーリー・ベーガー、彼女は驚くべきことに35年以上もテンプテーションズのマネージャーをしています、の記憶によるると、ベリー・ゴディーにロスアンゼルスのモータウンの新しいオフィスに呼ばれたときに、完成した「SOMEDAY WE'LL BE TOGETHER」を聞かされ、これをダイアナ・ロスのソロデビューシングルにするつもりだと打ち明けられたそうです。それほどベリーはこの曲を高く評価していたということではないでしょうか。彼女はすぐに、この曲はダイアナ・ロス&ザ・スプリームスのラストシングルにするのがふさわしいとアドバイスしたそうですが、そのアドバイスがあってかダイアナ・ロス&ザ・スプリームスのシングルとしてリリースされるとヒットチャートを駆け上がり、1969年12月、1960年代最終週という記念すべきビルボード誌のHOT100のトップを飾り、ダイアナ・ロスの旅立ちに大きな花火を打ち上げ華を添えたのでした。
ここまで絵に書いたように結果がでてしまうと、ついつい見過ごされがちになってしまいまうのが、曲そのものが持つ魅力。どうしても、スーパーグループスプリームスからのダイアナの脱退という話題性でヒットしたというイメージが払拭できなかったのですが、現実的に考えるとリリースされた1969年は1月にリリースした「I'M LIVIN' IN SHAME/スラムの小鳩」がかろうじてトップ10に入ったもののその後のシングル3枚はビルボードでの最高位が25位、27位、31位(B面が31位)と順位を下げ、このシングルの直前にリリースされたテンプテーションズと共演の「THE WEIGHT」は46位とついにTOP40を逃していたことを考えると、とても話題性だけで得たリアクションだとは思えません。これが真実のヒントであるかどうかはわかりませんが、ジョニー・ブリストルによると、「SOMEDAY WE'LL BE TOGETHER」という言葉はダイアナがザ・スプリームスが去るという狭い意味だけでなく、大変重たい意味を持ち、人々の共感を得る時代背景があったというのです。歴史の年表を横に目をやるとベトナム戦争が泥沼化していた時期、多くの若者が命を落としていました。そんな時に、家族や恋人や友達が別れ際にかわす「Someday, we'll be togheter」という言葉は特別だったんだそうです。これはジョニー・ブリストルのコメントを知るまではまったく見落としたいたことでした。そして悲しいことに、今の時代またこの言葉が重たくなってきていますね。(2005年11月)
収録アルバム
「ANTHOLOGY」(☆☆☆)
「CREAM OF THE CROP」(☆☆)
他 スプリームスのほとんどのベスト盤に収録
追記
モータウンのヒット曲の多くはお蔵入りとなったオルタネイトミックスバージョンが存在することがファン泣かせなのですが、この曲にも通称「タンバリンバージョン」という別ミックスが存在します。1970年代にモータウンのコンピレーションアルバムに収録されたバージョンなんですが、その名のとおりイントロの最初の部分からのタンバリンの音が印象的なミックスバージョンで1999年にリリースされた20thCENTURYmasterシリーズの「The Best Of Diana Ross & The Supuremes」で初CD化、その後、2001年リリースの「Anthology」にはさらに「NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE/星空のラブ・サイン」との曲間にカウントを数える声まで含めた完全(?)バージョンでこのタンバリンバージョンが収録されています。
ジョニー・ブリストルの略歴などをWeb版の欄外コラム(こちら)で紹介していますのでよろしければご一読ください。
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Love Child/I'm Livin' In Shame ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスダイアナ・ロス 未発表ジャズナンバー集はスターバックスで先行発売
2005年11月10日
ダイアナ・ロス 南アフリカに到着
(記事はこちら)
アメリカからでも南アフリカは遠いんですね。1日がかりでヨハネスバーグに到着した女王様。久々の大きなステージを前にご機嫌なのかいつにも増してコメントがさわやかでまともです。素敵なステージで観客を魅了してほしいですね。
ダイアナ・ロス 未発表ジャズナンバー集はスターバックスで先行発売
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ダイアナ・ロス 未発表ジャズナンバー集はスターバックスで先行発売
タグ:ダイアナ・ロス
2005年11月08日
ダイアナ・ロス 新作レコーディング開始
ニュースはこちら。
ダイアナ・ロスが久々にレコーディングを開始。母の日まで(ってことは来年5月ですね)にリリースしたいということなので、少し先になるかもしれませんがこれはうれしいニュースですね。
ダイアナ・ロス 未発表アルバム「Blue」を聞いて その2
ダイアナ・ロス 未発表アルバム「Blue」を聞いて その1
ダイアナ・ロス 未発表ジャズナンバー集はスターバックスで先行発売
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タグ:ダイアナ・ロス
2005年11月07日
ダイアナ・ロス 6年間のブランクを越えて(訂正版)
Yahoo!ニュースで訂正記事(「CORRECTED」)がでるのって珍しくないですか?私はみたのはじめてです(こちら)。おそらくどなたか熱心なファンが9年ぶりではなくて6年ぶりだと抗議したんでしょうね。1999年に「Until We Meet Again」がダンスチャートで2位まで上昇してるので6年ぶりだそうです。アダルトコンテンポラリーチャートで33位で登場というのも確定したようでなにより。でもオリジナルアルバムが6年もリリースされてないんですね、やはり寂しい。このシングルがヒットしたらレコード会社と新しいディールが結ばれるかも知れませんね。期待して待ちましょう。
ダイアナ・ロス 未発表アルバム「Blue」を聞いて その2
ダイアナ・ロス 未発表アルバム「Blue」を聞いて その1
ダイアナ・ロス 未発表アルバム「Blue」を聞いて その2
ダイアナ・ロス 未発表アルバム「Blue」を聞いて その1
タグ:ダイアナ・ロス
2005年11月06日
ダイアナ・ロス 9年間のブランクを越えて・・・
これがニュースになるところがダイアナのダイアナたるところですが・・・(こちら)
1996年にアダルトコンテンポラリーチャートで「Voice Of Heart」がランクインして以来、9年間ビルボードのチャートには登場しいなかったそうです。18曲もナンバーヒットを持ってるダイアナにして寂しい限り。HOT100に至っては1986年「Chain Reaction」(この曲は1985年と1986年の2回に分けてHOT100入りしてますが最高位は86位)以来、約20年ご無沙汰。そしていよいよロッド・スチャートとのデュエットがHOT100入りするのではないかと記事は結ばれていますが・・・アダルトチャートでなくてHOT100のほうとはなんだかうれしいですね。それほど今回の曲はリアクションがいいということでしょう。ロッドにとってもこのスタンダード集シリーズのアルバムはいずれも大ヒットしていますがシングルカットはHOT100入りしていないのでやはりこの組み合わせ&曲の相性が良かったということでしょうか。話題が盛り上げればグラミーも・・・っと期待してしまいます。今回はクライブ・デイビスが後ろ盾ですから可能性ないことはないでしょ(ファンの妄想はまだまだ続く)。
1996年にアダルトコンテンポラリーチャートで「Voice Of Heart」がランクインして以来、9年間ビルボードのチャートには登場しいなかったそうです。18曲もナンバーヒットを持ってるダイアナにして寂しい限り。HOT100に至っては1986年「Chain Reaction」(この曲は1985年と1986年の2回に分けてHOT100入りしてますが最高位は86位)以来、約20年ご無沙汰。そしていよいよロッド・スチャートとのデュエットがHOT100入りするのではないかと記事は結ばれていますが・・・アダルトチャートでなくてHOT100のほうとはなんだかうれしいですね。それほど今回の曲はリアクションがいいということでしょう。ロッドにとってもこのスタンダード集シリーズのアルバムはいずれも大ヒットしていますがシングルカットはHOT100入りしていないのでやはりこの組み合わせ&曲の相性が良かったということでしょうか。話題が盛り上げればグラミーも・・・っと期待してしまいます。今回はクライブ・デイビスが後ろ盾ですから可能性ないことはないでしょ(ファンの妄想はまだまだ続く)。
タグ:ダイアナ・ロス
2005年11月03日
2005年10月28日
ダイアナ・ロス I SECOND THAT EMOTION
ひきつづき60年代末から70年代前半のあたりのものをピックアップして聞いてまして、昨日から今日にかけてのブームはダイアナ・ロス&ザ・スプリームスjoinザ・テンプテーションズからのこの曲。スモーキー・ロビンソンの曲がテンプテーションズにもダイアナの声にもすごくあう。スモーキーからして綿雨系の声だから相性があって当然なんでしょうけど。今年になって今さらですが、ようやくこのアルバムのよさがわかってきたなと実感しました。
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2005年10月21日
ダイアナ・ロスとWestlifeのデュエットナンバーは?
http://www.rte.ie/arts/2005/1019/westlife.html
いつリリースなんだとずっと話題になっていたダイアナ・ロスとWestlifeのデュエット曲が「When You Tell Me Theat You Love Me」であることが判明しました。新曲ではなくダイアナ自身のソロレコーディングではイギリスでは大ヒットとなったナンバー。詳しくはこちらでご紹介しています。Westlifeのメンバーの誰かがこの曲が好きでリクエストとなったのでしょうか。リリースはクリスマス前と予定されていて、クリスマスに1位になることが目標だとか。ダイアナのソロバージョンはフレディー・マーキュリーが他界した時期と重なってしまい「ボヘミアン・ラプソディー」にはばまれて2位止まりでしたが今回はNo.1取れるでしょうか?
いつリリースなんだとずっと話題になっていたダイアナ・ロスとWestlifeのデュエット曲が「When You Tell Me Theat You Love Me」であることが判明しました。新曲ではなくダイアナ自身のソロレコーディングではイギリスでは大ヒットとなったナンバー。詳しくはこちらでご紹介しています。Westlifeのメンバーの誰かがこの曲が好きでリクエストとなったのでしょうか。リリースはクリスマス前と予定されていて、クリスマスに1位になることが目標だとか。ダイアナのソロバージョンはフレディー・マーキュリーが他界した時期と重なってしまい「ボヘミアン・ラプソディー」にはばまれて2位止まりでしたが今回はNo.1取れるでしょうか?
2005年10月16日
レイ・チャールズ&ダイアナ・ロス そしてスティーブ・タイレル
BBSなどでもお知らせしましたが、レイ・チャールズのデュエットアルバム第2弾をようやく購入。タワレコで輸入盤の方がセール価格になっていたので、国内盤の泉山真奈美さんの解説がきになったものの今回は輸入盤をチョイス。デジパウチっていうんでしたっけ?輸入盤の方はケースとジャケットが一体化した形式のでした。
お目当てのダイアナ・ロスのデュエットナンバーは事前にアナウンスされていた通り、過去レイ・チャールズがまだ生きてた頃のレコーディングでしたが、どうして豪華なふたりの顔合わせの曲がCD化されてなかったのかなど謎が多かったのですが、クレジットを見ると映画「The Favor」のためにレコーディングされていたとわかりました。そんな映画聞いたこと無いなと思ってしらべてみると日本では未公開で「ブラッド・ピットのヒミツのお願い」(テレビ東京での放送時は「ブラッド・ピットの君にメロメロ」)としてビデオ化さています。「ブラッド・ピットの〜」ってパターンの邦題はその俳優が主役ではないんだけどそこがセールスポイントって場合に使われますから(例えば「マドンナのスーザンを探して」(苦笑))、これももちろんブラッド・ピットは主役ではありません。しかも映画会社のトラブルで1992年の撮影から2年間アメリカでも公開されなかったそうです。ですからCDのクレジットでは(P)1994となってますが、レコーディングはもっと以前の可能性がありますね。ご存知のようにこの頃はダイアナ・ロスにとって第5期ぐらいの黄金期。とにかく声がよくでてるころのレコーディングであるのでファンにとってはうれしいかぎりの発掘ということになります。
そして第2のポイントは曲がスティーブ・タイレルの書き下ろしで彼のプロデュースであるところ。スティーブ・タイレルについては以前にWebのほうで紹介してますし(こちら)、Katsukoさんがコンサートへ行かれてブログでレポ入れてくださった(こちら)のが偶然に今週だったので思わずこのネタとあわせてBBS占領してひとりで盛り上がってしまいました。吉岡正晴さんのSoulSerchin'ブログ(こちら)でも取り上げていらっしゃるので、彼のキャリアを詳しく知りたい方はぜひご参照ください。
ネットで視聴したときにこの曲はR&Bクラシックのカバー?といった印象でしたが、書下ろしであってもこの雰囲気がでてしまうのはスティーブ・タイレルだと市って納得。彼はシンガーとして超遅咲きのデビューにもかかわらず、今や大人気でもありますし、最近の大きな仕事はロッド・スチュアートのスタンダード集だと知っていただければみなさんにも納得していただけるのではないでしょうか・・・ここまで書いてはた!と気づかれた片もいらっしゃるでしょうが、今度のロッドとダイアナのデュエットもタイレルつながりがベースであっての実現か?とまたまた音楽数珠繋ぎのような空想が広がるのでした。
ところでダイアナ参加曲以外もすべてデュエットなのですが、やはりレイ・チャールズの生前にレコーディングされていた曲と新しく追加レコーディングした豪華なゲストボーカリストの声を編集してデュエットに作り上げてるだけに無理があります。一部パブリシティではデュエットを想定してレコーディングされていたとかかれてたというのも見ましたがなかにはそうういうのもあるのかもしれませんが、完成した曲を聞くと、これは、ソロレコーディングを編集したんだなと思わざるおえません。受け手がすべてデュエットパートナー側で、レイが相手のボーカルを受けてレスポンスするような感じがまったくないですから。過去のイタコレコーディングで成功したといわれるものはいろいろなアイデアを試し盛り込んで自然な仕上がりに近づけるために膨大な時間を費やしてたからこそであって、どんなにフィル・ラモーンがエンジニア出身の優秀なプロデューサーであったとしても短期間にこれだけの曲をそろえるとなるとクオリティを維持できるはずもありません。と、とりあえず辛口に書いておきます。
お目当てのダイアナ・ロスのデュエットナンバーは事前にアナウンスされていた通り、過去レイ・チャールズがまだ生きてた頃のレコーディングでしたが、どうして豪華なふたりの顔合わせの曲がCD化されてなかったのかなど謎が多かったのですが、クレジットを見ると映画「The Favor」のためにレコーディングされていたとわかりました。そんな映画聞いたこと無いなと思ってしらべてみると日本では未公開で「ブラッド・ピットのヒミツのお願い」(テレビ東京での放送時は「ブラッド・ピットの君にメロメロ」)としてビデオ化さています。「ブラッド・ピットの〜」ってパターンの邦題はその俳優が主役ではないんだけどそこがセールスポイントって場合に使われますから(例えば「マドンナのスーザンを探して」(苦笑))、これももちろんブラッド・ピットは主役ではありません。しかも映画会社のトラブルで1992年の撮影から2年間アメリカでも公開されなかったそうです。ですからCDのクレジットでは(P)1994となってますが、レコーディングはもっと以前の可能性がありますね。ご存知のようにこの頃はダイアナ・ロスにとって第5期ぐらいの黄金期。とにかく声がよくでてるころのレコーディングであるのでファンにとってはうれしいかぎりの発掘ということになります。
そして第2のポイントは曲がスティーブ・タイレルの書き下ろしで彼のプロデュースであるところ。スティーブ・タイレルについては以前にWebのほうで紹介してますし(こちら)、Katsukoさんがコンサートへ行かれてブログでレポ入れてくださった(こちら)のが偶然に今週だったので思わずこのネタとあわせてBBS占領してひとりで盛り上がってしまいました。吉岡正晴さんのSoulSerchin'ブログ(こちら)でも取り上げていらっしゃるので、彼のキャリアを詳しく知りたい方はぜひご参照ください。
ネットで視聴したときにこの曲はR&Bクラシックのカバー?といった印象でしたが、書下ろしであってもこの雰囲気がでてしまうのはスティーブ・タイレルだと市って納得。彼はシンガーとして超遅咲きのデビューにもかかわらず、今や大人気でもありますし、最近の大きな仕事はロッド・スチュアートのスタンダード集だと知っていただければみなさんにも納得していただけるのではないでしょうか・・・ここまで書いてはた!と気づかれた片もいらっしゃるでしょうが、今度のロッドとダイアナのデュエットもタイレルつながりがベースであっての実現か?とまたまた音楽数珠繋ぎのような空想が広がるのでした。
ところでダイアナ参加曲以外もすべてデュエットなのですが、やはりレイ・チャールズの生前にレコーディングされていた曲と新しく追加レコーディングした豪華なゲストボーカリストの声を編集してデュエットに作り上げてるだけに無理があります。一部パブリシティではデュエットを想定してレコーディングされていたとかかれてたというのも見ましたがなかにはそうういうのもあるのかもしれませんが、完成した曲を聞くと、これは、ソロレコーディングを編集したんだなと思わざるおえません。受け手がすべてデュエットパートナー側で、レイが相手のボーカルを受けてレスポンスするような感じがまったくないですから。過去のイタコレコーディングで成功したといわれるものはいろいろなアイデアを試し盛り込んで自然な仕上がりに近づけるために膨大な時間を費やしてたからこそであって、どんなにフィル・ラモーンがエンジニア出身の優秀なプロデューサーであったとしても短期間にこれだけの曲をそろえるとなるとクオリティを維持できるはずもありません。と、とりあえず辛口に書いておきます。
2005年10月14日
NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス
****Web版Everegreenと同時更新です。Web版には欄外コラムも設けてます。***
これですか?とまたつっこまれそうですが、スプリームスのシングル紹介第2弾。何を隠そうこの夏はまりにはまって繰り返し聞いていたのがこの「NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE」(試聴できます。
)。「星空のサイン」とかなんとかいう洒落た邦題もあったはずですがいくら探しても邦題があった記録は見つかりませんでした(Suzuさんに「星空のラブ・サイン」だと教えていただきました)。スプリームスファンの中でもあまり知られていないし、知ってはいてもなかったことにしているファンも多いシングルだと思います。私も最初にこの曲を聴いたのはCDの「旧アンソロジー」だったか2in1シリーズであったか忘れましたが、とにかく感想は最悪。モータウンで初期にCD化された音源はマスタリングが悪く音質はアナログ盤以下だったので、この時期にCDで最初に聞いた曲はたいがい印象が悪くなってしまうのです。この曲の場合はそれだけが原因ではありませんでした。スプリームスの楽しくて心地よいヒットナンバーの詰まったベスト盤の流れで聞いていると誰もがこの曲の導入部分で「なんじゃこりゃ」とずっこけるんじゃないんでしょうか。ブルージーなギターではじまったと思ったらいきなりドンガラガッシャーンとサイケ調のコーラスが始まってダイアナ・ロスが「おりゃー!ありゃー!」とシャウトしまくるという、ひとことでいうと「破れかぶれ」な印象の1曲だったからです。この曲が制作開始時、「Don't Destroy Me (私を破壊しないで)」という仮題がついていたのも納得、ダイアナが壊れてる。ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスも思うようにヒット曲が続かなくなったのでこんな無茶なことをやったのかなと、聞いた当初は思いましたし、最高位31位と1964年に「愛はどこへ行ったの/WHERE DID OUR LOVE GO」でチャートを制して以来シングルは必ずTOP30に入っていたのに最低を記録したのも当然だろうとファンらしからぬ感想を持ったぐらいでした。その上、コーラスの部分何を歌っているかわからなかったのですが「アクエリアース」というきめの言葉の部分だけ妙にはっきり分かって、それが1967年のビッグヒット「輝く星座/AQUARIOUS」(フィフスディメンションズ)に酷似していてパクリ疑惑を持ったことが追い討ちをかけました。
そんなこともあって、長らくこの曲は封印されていたわけですが、この夏は前回紹介した「LOVE CHILD」や「スラムの小鳩/I'M LIVIN' IN SHAME」などとともに、1960年代末期のダイアナ・ロス&ザ・スプリームス時代の曲を徹底的に聞きこんでいたので、この曲も洩れなくヘビーローテーションで繰り返し聞くこととなりました。聞いているうちにこの曲の背景やサウンドのおもしろさ、ダイアナのボーカルの思いもかけない展開などに気づき、いつのまにかこの曲ばかりを繰り返し聞くこともあるほどにすっかり虜になってしまいました・・・とは言っても世の中の皆様すべてにいい曲だと受け取ってもらえるとは思っていないところが評価の微妙な曲というか、自分だけが好きな曲という位置にすぎないのですが。やはり聞き手がダイアナ・ロスの第一声であるシャウトに耐えられるかどうかにかかっていると思います。この頃、実はダイアナはいろいろな曲でシャウトしまくっていまして、このシングルと平行してレコーディングされたテンプテーションズの共演アルバム「Together」ではオープニングからマーヴィン・ゲイの「STUBBORN KIND OF FELLOW」(トヨタのCMのトータス松本バージョンもかっこよかったですね)でシャウトしてはじまると、シングルにもなったバーズの「THE WEIGHT」、スティービー・ワンダーの「UPTIGHT」、スライ&ファミリーストーンの「SING A SINMPLE SONG」とシャウトの大バーゲンセール。このラインナップを見てお気づきかと思いますが、サイケサウンドがフラワームーブメントと合流して大きな流れを作っていた時期、モータウン勢もテンプテーションズがこのブームをうまく取り入れて「CLOUD NINE」を大ヒットにつなげていて、スプリームスもなんとかあやかりたいと挑戦したのがこの「NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE」ではなかったかと簡単に想像できます。問題のコーラスの部分はよーくよく聞くと「Capricorn, Scorpio, Taurus, Gemini, Virgo, Cancer, Pisces, Leo, Libra, Aries, Aquarius, Sagittarius」と星座の名前を羅列しているだけなので、星座の名前を聞いただけでハイになってシャウトしまくるダイアナがますます不自然でおもしろすぎます。「星座占いがあなたをどんなひとだと啓示しようと私はなたが本当に大好き」となんてことない歌詞ですが、星座占いというのがそもそもフラワームーブメントの主役であったヒッピー的なアイテムですし、彼らが好んで使う「vibration」と言う言葉を使っているあたりもそういう意識を感じますね。「Don't Destroy Me (私を破壊しないで)」の次には「THE PAPER SAID RAIN」(新聞の天気予報じゃ雨だと言うけれどという歌詞が簡単に想像できます)というタイトルも考えられていたようですので、やはりそのあたりの言葉で歌詞を作ったのはベリー・ゴディー商法のあざとさだと思いますが、残念ながら彼がLSDでハイになりながら書いたのではないでしょうから、ホンマモンとは根本的に似て異なるものにしかなりませんでした。実際、印象に残りすぎるコーラス&シャウトの部分以外は、60年代終わりから70年代にかけてのポストH=D=Hの時期のモータウンのサウンドのテキスト的なオーソドックスさ。ですから、ダイアナ・ロスのキャリアに焦点を当てて考えると、スプリームスからソロシンガーへの橋渡しにしっかりなっている曲で、ソロになってからのシングル「SURRENDER」などのテイストはまさにこの曲の延長線上。馴れないシャウトに違和感があったスプリームスのダイアナの姿は「SURRENDER」にはすでになく、むしろ堂々とこれが私のスタイルよといったシャウトを聞かせてくれていて、この曲と聞き比べることによってこの時期に急速に進化したダイアナのボーカルを感じることができたりするのです。
そしてもうひとつこの「NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE」の注目すべき点は、ダイアナのボーカルのレンジの変化。プライメッツ時代から初期のスプリームスの頃でこそ、「ボーイソプラノの少女版」(おかしな言葉ですね)のような甲高い声でフルスロットルの歌声だったダイアナでしたが、最初のビッグヒットとなった「愛はどこへいったの/WHERE DID OUR LOVE GO」でキーを下げてソフトに歌うようになってからは、特にシングルナンバーではミッドレンジのみを使うボーカルスタイルが定着していました。ひとつには自己流のボーカルスタイルだったダイアナをソフィストケートされたシンガーとして聞かせる作戦であり、またフローとメアリーという芸達者なバックアップコーラスがついているので彼女達に任せる部分は任せるのがスプリームスのスタイルとなったこともあるのではないかと思います。しかし、ダイアナのソロ独立が既定路線となり、スプリームスのレコーディングとダイアナのソロのレコーディングが並行して行なわれるようになりだし、時にはダイアナのソロレコーディングのパイロット版と思われるようなナンバーがダイアナ・ロス&ザ・スプリームスの名義でも発表されるようになってくると、そういったスプリームスの見えない約束事になっていた枠を打ち破って新しいスタイルを作ろうと試行錯誤している姿が浮かび上がってきます。この時期、スプリームス用レコーディングであってもバックアップコーラスはフローに変わってメンバーに加わったシンディーとメアリーのふたりではなくアンダンテスが担当していたので、実質ダイアナのソロレコーディングとなっていたのも、ダイアナのボーカルを成長させるために作為的に行なわれたのではないかと疑いたくなります。特にこの「NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE」の後半部分ではスプリームスのほかのシングルではみせなかったような高揚したボーカルで上のパートをとっているコーラスのさらに上をアドリブ風に歌ってみせたりしていて、ソロになってからのヒットナンバーを彷彿させたりする展開になているのです。一方でシャウトを含めて、新しいボーカルスタイルやボーカルレンジがまだまだ板につかずダイアナらしい輝きを失っていると感じさせられた部分もあったりするのですが、歴史として振り返るとそういった試行錯誤こそが稀有な才能を持つ新しいエンターテイナーの誕生を予感させ今聴いてもわくわくさせられてしまい、この夏にはまりまくってしまったのだと思います。この曲はスプリームスの曲と思わずに、むしろダイアナのソロナンバーだと思って聞いていただければ、今まで苦手にしていたファンの方にも楽しんでいただけるのではないでしょうか。
この時期のモータウン物は1990年代以降になって再評価されていることは、「LOVE CHILD」の紹介でも触れましたが、この曲も1990年にベル・ビヴ・デヴォー(ニュー・エディション)が「Ain't Nut'in' Changed」と言う曲のイントロにサンプリングで使っているくらいなので、ファンが自虐的になるほど悪い曲じゃないのかもしれませんよ。
ご参考:アマゾンで一部試聴できますがサンプリングの部分は残念ながらきけません。
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Love Child/I'm Livin' In Shame ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス
これですか?とまたつっこまれそうですが、スプリームスのシングル紹介第2弾。何を隠そうこの夏はまりにはまって繰り返し聞いていたのがこの「NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE」(試聴できます。
そんなこともあって、長らくこの曲は封印されていたわけですが、この夏は前回紹介した「LOVE CHILD」や「スラムの小鳩/I'M LIVIN' IN SHAME」などとともに、1960年代末期のダイアナ・ロス&ザ・スプリームス時代の曲を徹底的に聞きこんでいたので、この曲も洩れなくヘビーローテーションで繰り返し聞くこととなりました。聞いているうちにこの曲の背景やサウンドのおもしろさ、ダイアナのボーカルの思いもかけない展開などに気づき、いつのまにかこの曲ばかりを繰り返し聞くこともあるほどにすっかり虜になってしまいました・・・とは言っても世の中の皆様すべてにいい曲だと受け取ってもらえるとは思っていないところが評価の微妙な曲というか、自分だけが好きな曲という位置にすぎないのですが。やはり聞き手がダイアナ・ロスの第一声であるシャウトに耐えられるかどうかにかかっていると思います。この頃、実はダイアナはいろいろな曲でシャウトしまくっていまして、このシングルと平行してレコーディングされたテンプテーションズの共演アルバム「Together」ではオープニングからマーヴィン・ゲイの「STUBBORN KIND OF FELLOW」(トヨタのCMのトータス松本バージョンもかっこよかったですね)でシャウトしてはじまると、シングルにもなったバーズの「THE WEIGHT」、スティービー・ワンダーの「UPTIGHT」、スライ&ファミリーストーンの「SING A SINMPLE SONG」とシャウトの大バーゲンセール。このラインナップを見てお気づきかと思いますが、サイケサウンドがフラワームーブメントと合流して大きな流れを作っていた時期、モータウン勢もテンプテーションズがこのブームをうまく取り入れて「CLOUD NINE」を大ヒットにつなげていて、スプリームスもなんとかあやかりたいと挑戦したのがこの「NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE」ではなかったかと簡単に想像できます。問題のコーラスの部分はよーくよく聞くと「Capricorn, Scorpio, Taurus, Gemini, Virgo, Cancer, Pisces, Leo, Libra, Aries, Aquarius, Sagittarius」と星座の名前を羅列しているだけなので、星座の名前を聞いただけでハイになってシャウトしまくるダイアナがますます不自然でおもしろすぎます。「星座占いがあなたをどんなひとだと啓示しようと私はなたが本当に大好き」となんてことない歌詞ですが、星座占いというのがそもそもフラワームーブメントの主役であったヒッピー的なアイテムですし、彼らが好んで使う「vibration」と言う言葉を使っているあたりもそういう意識を感じますね。「Don't Destroy Me (私を破壊しないで)」の次には「THE PAPER SAID RAIN」(新聞の天気予報じゃ雨だと言うけれどという歌詞が簡単に想像できます)というタイトルも考えられていたようですので、やはりそのあたりの言葉で歌詞を作ったのはベリー・ゴディー商法のあざとさだと思いますが、残念ながら彼がLSDでハイになりながら書いたのではないでしょうから、ホンマモンとは根本的に似て異なるものにしかなりませんでした。実際、印象に残りすぎるコーラス&シャウトの部分以外は、60年代終わりから70年代にかけてのポストH=D=Hの時期のモータウンのサウンドのテキスト的なオーソドックスさ。ですから、ダイアナ・ロスのキャリアに焦点を当てて考えると、スプリームスからソロシンガーへの橋渡しにしっかりなっている曲で、ソロになってからのシングル「SURRENDER」などのテイストはまさにこの曲の延長線上。馴れないシャウトに違和感があったスプリームスのダイアナの姿は「SURRENDER」にはすでになく、むしろ堂々とこれが私のスタイルよといったシャウトを聞かせてくれていて、この曲と聞き比べることによってこの時期に急速に進化したダイアナのボーカルを感じることができたりするのです。
そしてもうひとつこの「NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE」の注目すべき点は、ダイアナのボーカルのレンジの変化。プライメッツ時代から初期のスプリームスの頃でこそ、「ボーイソプラノの少女版」(おかしな言葉ですね)のような甲高い声でフルスロットルの歌声だったダイアナでしたが、最初のビッグヒットとなった「愛はどこへいったの/WHERE DID OUR LOVE GO」でキーを下げてソフトに歌うようになってからは、特にシングルナンバーではミッドレンジのみを使うボーカルスタイルが定着していました。ひとつには自己流のボーカルスタイルだったダイアナをソフィストケートされたシンガーとして聞かせる作戦であり、またフローとメアリーという芸達者なバックアップコーラスがついているので彼女達に任せる部分は任せるのがスプリームスのスタイルとなったこともあるのではないかと思います。しかし、ダイアナのソロ独立が既定路線となり、スプリームスのレコーディングとダイアナのソロのレコーディングが並行して行なわれるようになりだし、時にはダイアナのソロレコーディングのパイロット版と思われるようなナンバーがダイアナ・ロス&ザ・スプリームスの名義でも発表されるようになってくると、そういったスプリームスの見えない約束事になっていた枠を打ち破って新しいスタイルを作ろうと試行錯誤している姿が浮かび上がってきます。この時期、スプリームス用レコーディングであってもバックアップコーラスはフローに変わってメンバーに加わったシンディーとメアリーのふたりではなくアンダンテスが担当していたので、実質ダイアナのソロレコーディングとなっていたのも、ダイアナのボーカルを成長させるために作為的に行なわれたのではないかと疑いたくなります。特にこの「NO MATTER WHAT SIGN YOU ARE」の後半部分ではスプリームスのほかのシングルではみせなかったような高揚したボーカルで上のパートをとっているコーラスのさらに上をアドリブ風に歌ってみせたりしていて、ソロになってからのヒットナンバーを彷彿させたりする展開になているのです。一方でシャウトを含めて、新しいボーカルスタイルやボーカルレンジがまだまだ板につかずダイアナらしい輝きを失っていると感じさせられた部分もあったりするのですが、歴史として振り返るとそういった試行錯誤こそが稀有な才能を持つ新しいエンターテイナーの誕生を予感させ今聴いてもわくわくさせられてしまい、この夏にはまりまくってしまったのだと思います。この曲はスプリームスの曲と思わずに、むしろダイアナのソロナンバーだと思って聞いていただければ、今まで苦手にしていたファンの方にも楽しんでいただけるのではないでしょうか。
この時期のモータウン物は1990年代以降になって再評価されていることは、「LOVE CHILD」の紹介でも触れましたが、この曲も1990年にベル・ビヴ・デヴォー(ニュー・エディション)が「Ain't Nut'in' Changed」と言う曲のイントロにサンプリングで使っているくらいなので、ファンが自虐的になるほど悪い曲じゃないのかもしれませんよ。
ご参考:アマゾンで一部試聴できますがサンプリングの部分は残念ながらきけません。
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スプリームス この2枚聞いてますか?
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2005年10月12日
ダイアナ・ロス、結婚??
気になる記事はこちら。
南アフリカでのコーンサーとに出演することは話題に出ていましたが、このなかで気になる記事が・・・
"She will just be jetting into the country to do the show and jetting out again for her wedding the week following the concert," he said.
なんかのジョークですかね?本当ならもっと話題になってるでしょう。
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2005年10月06日
スプリームス この2枚聞いてますか?
唐突ですが
「We Remember Sma Cooke」
「Sing Country Western & Pop」
というスプリームスのアルバムがありますが、このあたり愛聴してます!ってかたいらっしゃいますでしょうか。CD化もされたんですが、今ではレア盤扱い、でもオークションで落としてまで聞きたくはないなんて方、多いのでは。私はCD化されたときに買って持っていますが、思い返せば1度も通して聞いたことがない。ベスト「Anthology(2001)」に各1曲づつ収録されていまして、「We Remember Sma Cooke」に収録されたフローがリードの「AIN'T NO GOOD NEWS」を最近よく聞くのですが、なかなかいいでき。でCD引っ張り出して聞いたのですが前編聞くと・・・難しい。サム・クックというのが日本人には(私には)親しみがないせいかもしれませんね。フローのリードの曲はこの1曲だけなんですが、彼女のボーカルは彼女独自の魅力がありますね。内に秘めた熱いソウルはアレサやグラディスにだって負けてない、しかも非常に洗練された歌い方だし、音域が広い。スプリームスって曲に恵まれてただけじゃなくてダイアナのリードボーカルとともにフローやメアリーなど魅力あるシンガーがバックアップしてたところなど実力派であったんだとあらためて思いました。「Anthology(2001)」はシングル意外の収録曲にこだわりがあって素敵ですよ。
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2005年10月04日
ダイアナ、バーブラ ニュースいろいろ
こちら
ウエストライフのニューアルバムにゲスト参加しているダイアナ・ロスですが、11月2日、南アフリカでのコンサートで彼らとの共演が予定されています。治安が悪い国という印象があるのでくれぐれもお気をつけて。
こちら
アンドレ・アガシが主催するチャリティーイベントが10月2日ラスベガスで行なわれ、バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオン、アースウィンド&ファイアー、アッシャー、デュランデュランなど豪華スターのステージに8000人が熱狂、1000万ドルを集めることに成功しました(うち250万ドルはアガシと彼のマネージャーからの寄付)。音楽監督はデヴィッド・フォスターが努めたそうです。(デュランデュランのとこでなぜか笑ってしまった)貫禄あるお姿はこちらで拝めます。
こちら
最後は訃報。ダイアナ&マイケル・ジャクソンの映画ウィズのブリキ男さんがお亡くなりになりました。
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こちら
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2005年10月01日
ロッド・スチュアート&ダイアナ・ロス
http://www.billboard.com/bb/yahoo/search/article_display.jsp?vnu_content_id=1001219011
BBSでも話題にしましたが来月発売のロッドのアルバムでダイアナがデュエットで参加しています。スタンダードアルバムは回避してたのですが、今回は買ってみようかなと思います。
Suzuさんの情報によるとフランク・シナトラ&バーブラ・ストライサンドのゴージャスな君あわせでもこの曲がレコーディングされているそうです。
BBSでも話題にしましたが来月発売のロッドのアルバムでダイアナがデュエットで参加しています。スタンダードアルバムは回避してたのですが、今回は買ってみようかなと思います。
Suzuさんの情報によるとフランク・シナトラ&バーブラ・ストライサンドのゴージャスな君あわせでもこの曲がレコーディングされているそうです。
2005年09月21日
Love Child/I'm Livin' In Shame ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス
****Web版Everegreenと同時更新です。Web版には欄外コラムも設けてます。***
あいもかわらず温故知新な音楽生活を続けていましたこの夏、とりわけ1960年代後半のダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、アレサ・フランクリンをCDプレイヤーに載せることが多く、例えばディオンヌのCDを聞いているとじゃあこの年にはアレサはどんな曲を歌っていたのだろうといったように彼女達の歌を横聞き(造語です申し訳ありません)しだすと止まらないといった毎日でした。この時期に大いに盛り上がった公民権運動に後押しされ、それまでのアフロアメリカンの活躍の枠を打ち破ぶる先駆者として芸能・音楽界のフロントローを激しく競い合っていただけに歴史的レコーディングが多く、必然的にお互いがお互いを激しく意識していたのも作品から伝わってくるのでついつい夢中になってしまいます。いつかはこの時期の偉大なディーバ3人の活動の比較を自分なりにまとめてみたいなという野望はあるのですが、知識や文章力の不足はもちろん、資料も充分ではないのでなかなか手がつけられません。それでは、まずは、今までに一番聞き込んできたダイアナの、ということはスプリームス時代ということになりますが、ヒット曲を少しずつ紹介しながら、頭の整理をしていければと思い立ち、「スプリームスのシングル」とういシリーズをキックオフした次第です。
で、最初がこの2曲ですかと突っ込みを入れられそうですが、「LOVE CHILD」と「スラムの小鳩/I'M LIVIN' IN SHAME」、彼女達の絶頂期からすこしずれたダイアナ在籍時後半の2曲のヒット曲をご紹介したいと思います。1964年に「愛はどこへ行ったの/WHERE DID OUR LOVE GO」で初めてビルボードの1位を獲得して以後、破竹の勢いでヒットチャートに旋風を巻き起こしたザ・スプリームスですが、1967年夏から1968年にかけて、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスにグループ名を正式に変更するのと時を同じくしてオリジナルメンバーで本来はリーダー格だったフローレンス・バラードが脱退、そしてザ・スプリームス躍進の最大の功労者であるソングライター/プロデューサーチームのホランド=ドジャー=ホランドのモータウンからの独立などのマイナス要素も重なって、ヒットチャート上で一時の勢いにかげりが見えるようになっていました。それ以前のザ・スプリームスのヒット曲のすべてはH=D=Hが手がけていたわけですが、彼らが去った影響をモータウン所属アーティストのなかで一番受けてしまったのがザ・スプリームス(とフォートップス)だったからです。とはいうものの人気そのものは不動で、エド・サリバンショーなどの人気テレビ番組には準レギュラーなみに頻繁に出演し、テンプテーションズとユニットを組んだコンサートは大好評でこの夢の組み合わせによるスペシャルテレビ番組制作と共演レコードの製作が同時進行ですすみ、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスとなってから初の海外公演となるイギリスやドイツでのコンサートを成功させ、人気者につきものの殺人的なハードスケジュールはあいかわらずでした。
しかし、モータウンの総帥ベリー・ゴディJr.はスプリームスがヒットチャートのトップから1年も遠ざかっていることに大きな危機感を持ちました。ザ・スプリームスがモータウンの稼ぎ頭であったことはもちろんですが、わざわざグループ名をダイアナ・ロス&ザ・スプリームスに改名したのは、近い将来ダイアナ・ロスがソロ活動を始めるにあたって、今のうちにザ・スプリームスの名前を使って彼女を最大限売り込む腹積もりであったはず。しかし、このままではダイアナ独立を前にスプリームスそのものの勢いがなくなってしまいせっかくの妙案も水の泡になってしまいそうになったからでしょう。彼はH=D=Hのような強力なソングライターチームを作るべく、9月のある日、パム・ソーヤー(パメラ・ソーヤー)、R.ディーン・テイラー、フランク・ウィルソン、デック・リチャーズの4人のソングライターを呼び集め1週間でダイアナ達にNo.1ヒットになる新曲を完成させるように指示をしました。デトロイトのポンチャートレインホテルに缶詰にされた4人はそれぞれの個室でアイデアをひねり出しては集まりそれを練り直すという作業を繰り返し曲を書き上げ、その週末にはスティービー・ワンダーの「FINGERTIPS pt2」や「UPTIGHT」の作曲者でプロデューサーのヘンリー・コスビーがプロデューサーとして加わってバックトラックを完成、翌週の月曜日にバックトラックのミックスダウンが完了、コーラスを加え、その夜にはダイアナのリードボーカルのレコーディングを終了させるというまるで突貫工事の作業をやり遂げます。ちなみにこのソングライター/プロデューサーチームはThe Clanと名づけられてクレジットされています。
ベリー・ゴディJr.が曲の完成を急がせたのには理由がありました。9月30日にダイアナ・ロス&ザ・スプリームスがエド・サリバンショーへ出演することが決まっており、ここで新曲を披露させるという計画があったからでした。そして9月20日にダイアナのリードボーカルがレコーディングされて完成した新曲「LOVE CHILD」を急遽プレスし、モータウンが持つ独自の配給網を利用して、10日間という短い準備期間でエド・サリバンショー当日に全米中のレコード店で発売するというウルトラCをやってのけたのでした。これは大手レコード会社にはできないインディーレーベルであることを逆手にとった離れ技。さらに、この曲には全米中があっと驚く仕掛けが用意されていました。エド・サリバンショーの当日、新曲「LOVE CHILD」を歌うダイアナ達の姿にお茶の間の視聴者は唖然としたことでしょう。スプリームスのトレードマークといってよい故ルーサー・ヴァンドロスも毎回テレビの前で楽しみにしていたという華やかで豪華なドレスやウィッグを脱ぎ捨て、ダイアナ達は「Love Child」と書かれた黄色のシンプルなスウェットに膝丈でざくざくと切り裂かれたコットンのジーンズ、靴を履かずにはだし、髪型はショートアフロといった今までのスプリームスの姿とはかけ離れたいでたちだったからです。
これには理由がありました。ティーンエイジャーならではの恋の喜びや悲しみを歌った従来のスプリームスのヒット曲と違って、「LOVE CHILD」はタイトルどおり「私生児(Love Child)」をテーマに社会的なメッセージが含まれた歌詞の内容になっていたからです。ベリー・ゴディJr.が公民権運動を商売に利用したという意見もあるでしょうが、この年の4月にはキング牧師が暗殺され、一部のアフロアメリカンは敗北感すら感じ、誰もが「長い暑い夏」と言われた公民権運動が下火になっていくのを感じていた、このタイミングでスプリームスが社会性のある歌を取り上げたことは、今、私達が想像する以上のインパクトがあったのではないでしょうか。私生児として生まれ、社会的な差別を受けながら育った少女が今また妊娠してしまったために恋人を失おうとして「生まれてくる子供をLove Childにしないで」と訴える歌詞の内容は、表面だけを読むとティーンエイジャーの安易なセックスを慎むようにといった道徳的なメッセージに思えますが、これは白人黒人と言ったマーケットの壁を乗り越えて未曾有の成功を収め人種の融和の象徴的な存在であったスプリームスが安易に「黒人だから貧しい」「黒人だから差別されている」と歌って人種対立を刺激するようなことができないというジレンマを抱える中で精一杯「社会的弱者として生まれ育つことの厳しさ」をアピールするために「私生児」というテーマを表面的に借りているにすぎないのではないでしょうか。サビの部分のLove ChildをBlack Childに読み替えれば「Black Child 望まれて生まれてきたわけではない」「Black Child 社会的にはいつも2番目に扱われる」「Black Child 他の人たちと区別される」とアフロアメリカンが当時考えていたであろう思いにシンクロする歌詞になっていることがわかります。「LOVE CHILD」は多くのファンの心をつかみ2ヶ月かけてチャートを上りつめ、11月24日付けビルボードでビートルズの「HEY! JUDE」に替わって、スプリームスにとっては1987年5月に「THE HAPPENING」以来、実に1年半ぶり11曲目のNo.1に輝きます。
さて、なにかと歌詞ばかりが話題になる「LOVE CHILD」、個人的にも最初にスプリームス(当時はシュープリームス)を聞き出した頃はたくさんのヒット曲のうちの1曲で彼女達が初めて社会的なメッセージを歌った程度の思い入れしかありませんでした。やはり、多くのカバーナンバーがあり、日本で育った中学生にでもどこかに耳なじみがあった、H=D=Hの手がけた華やかで親しみやすいヒット曲群のほうを好んで聞いていました。それは当時のミュージックシーンの影響もあったと思います。1980年代といえばモータウンのリバイバルブームの真っ只中、このブームで脚光を浴びていたのがたとえばフィル・コリンズがカバーした「恋はあせらず/YOU CAN'T HURRY LOVE」やキム・ワイルドがカバーした「YOU KEEP ME HUNGING ON」などに代表されるH=D=Hが活躍した1960年代半ばごろのモータウンのヒット曲であったりサウンドであったりしたからです。しかし、HIPHOP全盛の今、フリーソウルというジャンルが確立し、サンプリングなども含めて注目されるようになったのが1960年代後半から70年代初頭にかけてのモータウンサウンド。流行と言うのは恐ろしいもので、モータウンサウンドを支えたファンクブラザーズに光を当てた2002年の映画「Standing In The Shadows of MOTOWN」でもそういった現在のミュージックシーンを反映し、モータウンサウンド全盛だった1960年代中ごろよりもむしろそれ以後の曲が重用されていました。「LOVE CHILD」はサンプリングが流行しだしてすぐ、1993年にいち早くジャネット・ジャクソンの「YOU WANT THIS」に使われています。サンプリングされたイントロの部分を含めたギターのかっこよさが秀逸なアレンジ。アレンジャーンのポール・ライザーが得意とするリズムセクションにストリングスが絡んでくる1970年代のモータウンの得意のパターンもこの曲で原型が誕生したのではないかな。スプリームスらしからぬシャープなバックコーラスは実はアンダンテスによるもので、メリー・ウィルソンとシンディー・バードソングは参加していません。アンダンテスはファンクブラザーズと同じくヒッツビルUSAのAスタジオから生まれた数多くのヒット曲にその声で貢献しながら陽のあたることがなかった日陰の存在。フランク・ウィルソンによれば「彼女達を起用したのはスケジュール的な問題で時間さえ余裕があればメリーやシンディーのコーラスを使っただろう」と言っていますが、現実には「LOVE CHILD」のひとつ前のシングル「愛の終着駅/SOMETHING YOU NEVER GET USED TO」からバックコーラスはメリーとシンディーではなくアンダンテスが担当、以後のシングルもテンプテーションズとの共演曲を除いてメリーとシンディーの声がシングルのA面で聞かれることはありませんでした。ちなみにアンダンテスはマーヴェレッツやヴァンデラスに替わって覆面コーラスとしてレコーディングしていて、モータウンの3大ガールグループを名乗ってレコーディングしていることになります。
注目したいのは、俗に言うところのAメロBメロサビにこの曲を分解して考えるとAメロBメロの部分にはメロディーが譜割してあるもののところどころ印象的な韻を小気味よく聞かせながら基本的に話し言葉に近い抑揚をつけてダイアナが歌詞を歌っているという点です。もともと彼女は話しているのと歌っているのとの境界が非常にあいまいで常に話しながら歌い、歌いながら話すといった表現を得意としていますが、「LOVE IS HERE NOW YOU ARE GONE」(1966年 最高位1位)や「AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH」(1970年 最高位1位)のモノローグ調と一線を画しているのはリズムのキャッチの仕方。これって今でいうところのラップなんじゃないですか。曲を支配する強力なリズムにラップ、そして印象的なサビのコーラスと現在のHIPHOPの原型がほぼ揃い当時としては斬新だったのではないでしょうか?しかもラップの内容には社会的メッセージが含まれていて銃や暴力の代わり(この場合はギャングの抗争ではなくキング牧師の非暴力主義に呼応する形で)として言葉を使っているなんてまさにって気がしてきます。ジャネットがいち早くサンプリングしたのも伊達じゃないですね。これのどこがラップやねん?HIPHOPやねんと思われた方、この曲の続編となる「スラムの小鳩/I'M LIVIN' IN SHAME」になるとさらにその部分がわかりやすく強調されています。それもあって今回は文字数超オーバーになることを覚悟で2曲同時紹介にしました。
「スラムの小鳩」は続編とはいったものの、「LOVE CHILD」リリース後、今度は12月に放送が控えたモータウン制作の初テレビスペシャル番組「TCB」を盛り上げるべく、テンプテーションズンとの共演アルバム「Diana
Ross & The Supremes Join Temptations」(最高位2位)のリリースやそこからのシングルカットとなった「君に愛されたい/I'M GONNA MAKE YOU LOVE ME」(最高位 2位)のリリース(実は「LOVE CHILD」が1位になるのを待つようにしてアルバムより2ヶ月遅れのリリース)、さらに「TCB」(最高位 1位)のサウンドトラックそしてさらにさらに「LOVE
CHILD」をフィチャーしたアルバム「Love Child」(最高位 14位)のリリースと、ファンの財布が悲鳴を上げるようなリリースラッシュを経て、翌年1969年の1月にリリースされています。同じくThe Clanとしてソングライター/プロデューサーがクレジットされていますが前回のメンバーからはデック・リチャーズが抜けています。個人的な注目点は「LOVE CHILD」よりさらにスピードアップして激しくなったラップ部分とそのラップ部分とサビのコーラスの切り替えの激しさ、スタイルとしては完全にHIPHOPじゃないですか(ちとしつこいですが)。ダイアナが歌い上げるタイプでないことが効を奏してますますラップ度が増しているように聞こえるのは私の空耳でしょうか?
しかし、世間的にはどうしても「LOVE CHILD」の2番煎じといった感がぬぐえずビルボードでの最高位は10位にとどまりスプリームスとしては小ヒットにとどまります。同時期にテンプテーションズの同じく社会的メッセージが話題となった強力なサイケファンクナンバー「CLOUD
NINE」(最高位 6位)がヒットしていたことも、比較したときにあらゆる意味ひ弱さが目立ってしまったのではないかと考えられます。まずサウンド的に「LOVE
CHILD」に比べてギターが弱い。これはデック・リチャーズが抜けた影響でしょう。彼はジャクソン5の初期のヒット曲ではメンバーに代わって覆面ギタリストとしてレコーディングではギターを担当しており、あの「I WANT YOU BACK」の印象的なイントロも彼の腕によるものであると知れば実力は押して測るべし、そうなってくると、「LOVE CHILD」のイントロの印象的なギターも彼ではないかという疑いも。ちょうど時期的にファンクブラザーズのギタリストが入れ替わっている時期なので可能性があるのではないでしょうか。そして歌詞が多くのファンの共感を得るというものではなかったのも問題でしょう。
正直言うと、最初にスプリームスを聞き出した頃はどことなくセンチな香を漂わせる「スラムの小鳩」のほうが「LOVE CHILD」より好きでよく聞いていました。しかし、私は甘かった。歌詞をカードでチェックせず(英語力にも問題がありましたが)、単語の聞き取れる範囲で「昔は貧しい生活の中で身なりも気にせずがむしゃらに働く母ママを恥ずかしいと思い、友達にも知られたくなかった、でも今、私はやっぱり貧しさの中で生きていてあのときのママの気持ちがわかるわ」という「貧しさの連鎖」という甘っちょろいテーマをでっち上げて勝手に聞いていたのです。これは邦題にある「スラム」という言葉に引きずられて「I'm living in shame」の「shame」をスラムのことを「shame」とも言うんだと誤解してたことが一番の原因でした。しかし、今、少しはましになった英語力で歌詞を読み返すととんでもない歌の全貌が見えてきたのです。「ママがパンを焼くときはいつも、古いぼろ布のようなスカーフをまいて、ストッキングは丸まって足もとまでずり下がってて、ぐちゃぐちゃの服を着て、どんなにがんばったとしても汚く見えてしまってた。なべから直接食べてたので、フォークや食器を使うこともなかった。私はいつもママがいいとこの友達に見られてしまうんじゃないかと恐れていた。ある日大人になったときにママみたいに自分がなってしまうんじゃないかと恐れていた。」ここまでは表現は過激ながらも想像していたとおりの内容なんですが、ここから少しずつずれていきます。「街を離れて進学すると、私は自分で別の自分を作り上げた。私は上流階級の生まれだということにした。私はメイドと召使に世話されていたと。きっと正気じゃなかったのよ。私はこんな嘘までついてしまった。ママは週末旅行のスペインで亡くなったと。本当のママは家からすらでたことない。まして国境を越える旅行などしたことない。」ちょっと内容が歌詞のとおり狂気じみてまいりました。しかし、こんなことで終らないのです。「私は上流階級の男性と結婚した。彼にはママのことを知られたくなかった。だからママには2歳になる孫がいるというのに一度だって会わせはしなかった。」アフロアメリカンの若い女の子達のロールモデルであるダイアナがこんな歌を歌ってもいいのでしょうか。こんなことなら未婚の母になってくれたほうがましだと世間の親は思うのではないでしょうか。そしてさらに畳み掛けるように不幸がこの歌で歌われます。「ママが死んだと電報が届いた。手作りジャムを作ってる最中だったそうだ。ママは死ぬ間際にこう絶叫した"私のそばに娘がいてくれるのが見えるわ"。」書いているだけで悲しくなってしまうお話ですね。「ママはいつもベストを尽くしてくれてた。料理も掃除も、汚いドレスで床をはいつくばるようにして一生懸命働いてた。」死んでからわかる親心でしょうか。「ママ、私の声が聞こえる?私はあなたがベストを尽くしていたと分かったの。ママが恋しい。あなたは私を許してくれないかもしれな。私のしでかした過ちを。私は恥ずかしい人生を生きている。」そう「I'M LIVIN' IN SHAME」は「私は恥ずかしい人生を生きている」という解釈が正しかったのではないかと思います。歌詞を読むと「恥ずかしい」ではすまされないとんでもない話です。これだけ長々と過激なラップで歌いきる、過激と言うか逆方向にすごすぎる。ラナ・ターナー主演の映画「Imitation Of Life (邦題"悲しみは空の彼方")」にインスパイアされた歌詞だそうですが、メロドラマでは許されても、こともあろうにスプリームスが「LOVE CHILD」の次に歌う曲のテーマではないでしょう。これでは多くの共感を得なかったのも仕方の無い話です。
奇妙な話だと思われるでしょうが、私はこのひどい歌詞の詳細をしって知ってさらに「なんていかした曲なんだ」と思ってしまうのがダイアナ・ロスファンの性。みなさまも、ぜひ、こういった歌詞を知った上でこの過激な2曲を聞き比べていただきたいですね。残念ながらダイアナ・ロス自らのペンによる自叙伝によると、「この2曲はまるでまったく他人の人生を歌わなければならなかったためなじめなかった、好きではない」そうです。はいそうでしょう、ご理解申し上げます。(2005年9月)
収録アルバム
スプリームスのコンピレーションはいろいろリリースされてますが
この2曲が収録されていて比較的リマスターが行き届いているのは
「ANTHOLOGY」(☆☆☆)
ただし「スラムの小鳩」はマスターがかなり痛んでいるようで
良いリマスター盤でも音のひずみが大きいです。
(初期のCDは聞くに堪えないほどひどかったのでかなりましなのですが。)
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スプリームス この2枚聞いてますか?
Love Child/I'm Livin' In Shame ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス
あいもかわらず温故知新な音楽生活を続けていましたこの夏、とりわけ1960年代後半のダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、アレサ・フランクリンをCDプレイヤーに載せることが多く、例えばディオンヌのCDを聞いているとじゃあこの年にはアレサはどんな曲を歌っていたのだろうといったように彼女達の歌を横聞き(造語です申し訳ありません)しだすと止まらないといった毎日でした。この時期に大いに盛り上がった公民権運動に後押しされ、それまでのアフロアメリカンの活躍の枠を打ち破ぶる先駆者として芸能・音楽界のフロントローを激しく競い合っていただけに歴史的レコーディングが多く、必然的にお互いがお互いを激しく意識していたのも作品から伝わってくるのでついつい夢中になってしまいます。いつかはこの時期の偉大なディーバ3人の活動の比較を自分なりにまとめてみたいなという野望はあるのですが、知識や文章力の不足はもちろん、資料も充分ではないのでなかなか手がつけられません。それでは、まずは、今までに一番聞き込んできたダイアナの、ということはスプリームス時代ということになりますが、ヒット曲を少しずつ紹介しながら、頭の整理をしていければと思い立ち、「スプリームスのシングル」とういシリーズをキックオフした次第です。
で、最初がこの2曲ですかと突っ込みを入れられそうですが、「LOVE CHILD」と「スラムの小鳩/I'M LIVIN' IN SHAME」、彼女達の絶頂期からすこしずれたダイアナ在籍時後半の2曲のヒット曲をご紹介したいと思います。1964年に「愛はどこへ行ったの/WHERE DID OUR LOVE GO」で初めてビルボードの1位を獲得して以後、破竹の勢いでヒットチャートに旋風を巻き起こしたザ・スプリームスですが、1967年夏から1968年にかけて、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスにグループ名を正式に変更するのと時を同じくしてオリジナルメンバーで本来はリーダー格だったフローレンス・バラードが脱退、そしてザ・スプリームス躍進の最大の功労者であるソングライター/プロデューサーチームのホランド=ドジャー=ホランドのモータウンからの独立などのマイナス要素も重なって、ヒットチャート上で一時の勢いにかげりが見えるようになっていました。それ以前のザ・スプリームスのヒット曲のすべてはH=D=Hが手がけていたわけですが、彼らが去った影響をモータウン所属アーティストのなかで一番受けてしまったのがザ・スプリームス(とフォートップス)だったからです。とはいうものの人気そのものは不動で、エド・サリバンショーなどの人気テレビ番組には準レギュラーなみに頻繁に出演し、テンプテーションズとユニットを組んだコンサートは大好評でこの夢の組み合わせによるスペシャルテレビ番組制作と共演レコードの製作が同時進行ですすみ、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスとなってから初の海外公演となるイギリスやドイツでのコンサートを成功させ、人気者につきものの殺人的なハードスケジュールはあいかわらずでした。
しかし、モータウンの総帥ベリー・ゴディJr.はスプリームスがヒットチャートのトップから1年も遠ざかっていることに大きな危機感を持ちました。ザ・スプリームスがモータウンの稼ぎ頭であったことはもちろんですが、わざわざグループ名をダイアナ・ロス&ザ・スプリームスに改名したのは、近い将来ダイアナ・ロスがソロ活動を始めるにあたって、今のうちにザ・スプリームスの名前を使って彼女を最大限売り込む腹積もりであったはず。しかし、このままではダイアナ独立を前にスプリームスそのものの勢いがなくなってしまいせっかくの妙案も水の泡になってしまいそうになったからでしょう。彼はH=D=Hのような強力なソングライターチームを作るべく、9月のある日、パム・ソーヤー(パメラ・ソーヤー)、R.ディーン・テイラー、フランク・ウィルソン、デック・リチャーズの4人のソングライターを呼び集め1週間でダイアナ達にNo.1ヒットになる新曲を完成させるように指示をしました。デトロイトのポンチャートレインホテルに缶詰にされた4人はそれぞれの個室でアイデアをひねり出しては集まりそれを練り直すという作業を繰り返し曲を書き上げ、その週末にはスティービー・ワンダーの「FINGERTIPS pt2」や「UPTIGHT」の作曲者でプロデューサーのヘンリー・コスビーがプロデューサーとして加わってバックトラックを完成、翌週の月曜日にバックトラックのミックスダウンが完了、コーラスを加え、その夜にはダイアナのリードボーカルのレコーディングを終了させるというまるで突貫工事の作業をやり遂げます。ちなみにこのソングライター/プロデューサーチームはThe Clanと名づけられてクレジットされています。
ベリー・ゴディJr.が曲の完成を急がせたのには理由がありました。9月30日にダイアナ・ロス&ザ・スプリームスがエド・サリバンショーへ出演することが決まっており、ここで新曲を披露させるという計画があったからでした。そして9月20日にダイアナのリードボーカルがレコーディングされて完成した新曲「LOVE CHILD」を急遽プレスし、モータウンが持つ独自の配給網を利用して、10日間という短い準備期間でエド・サリバンショー当日に全米中のレコード店で発売するというウルトラCをやってのけたのでした。これは大手レコード会社にはできないインディーレーベルであることを逆手にとった離れ技。さらに、この曲には全米中があっと驚く仕掛けが用意されていました。エド・サリバンショーの当日、新曲「LOVE CHILD」を歌うダイアナ達の姿にお茶の間の視聴者は唖然としたことでしょう。スプリームスのトレードマークといってよい故ルーサー・ヴァンドロスも毎回テレビの前で楽しみにしていたという華やかで豪華なドレスやウィッグを脱ぎ捨て、ダイアナ達は「Love Child」と書かれた黄色のシンプルなスウェットに膝丈でざくざくと切り裂かれたコットンのジーンズ、靴を履かずにはだし、髪型はショートアフロといった今までのスプリームスの姿とはかけ離れたいでたちだったからです。
これには理由がありました。ティーンエイジャーならではの恋の喜びや悲しみを歌った従来のスプリームスのヒット曲と違って、「LOVE CHILD」はタイトルどおり「私生児(Love Child)」をテーマに社会的なメッセージが含まれた歌詞の内容になっていたからです。ベリー・ゴディJr.が公民権運動を商売に利用したという意見もあるでしょうが、この年の4月にはキング牧師が暗殺され、一部のアフロアメリカンは敗北感すら感じ、誰もが「長い暑い夏」と言われた公民権運動が下火になっていくのを感じていた、このタイミングでスプリームスが社会性のある歌を取り上げたことは、今、私達が想像する以上のインパクトがあったのではないでしょうか。私生児として生まれ、社会的な差別を受けながら育った少女が今また妊娠してしまったために恋人を失おうとして「生まれてくる子供をLove Childにしないで」と訴える歌詞の内容は、表面だけを読むとティーンエイジャーの安易なセックスを慎むようにといった道徳的なメッセージに思えますが、これは白人黒人と言ったマーケットの壁を乗り越えて未曾有の成功を収め人種の融和の象徴的な存在であったスプリームスが安易に「黒人だから貧しい」「黒人だから差別されている」と歌って人種対立を刺激するようなことができないというジレンマを抱える中で精一杯「社会的弱者として生まれ育つことの厳しさ」をアピールするために「私生児」というテーマを表面的に借りているにすぎないのではないでしょうか。サビの部分のLove ChildをBlack Childに読み替えれば「Black Child 望まれて生まれてきたわけではない」「Black Child 社会的にはいつも2番目に扱われる」「Black Child 他の人たちと区別される」とアフロアメリカンが当時考えていたであろう思いにシンクロする歌詞になっていることがわかります。「LOVE CHILD」は多くのファンの心をつかみ2ヶ月かけてチャートを上りつめ、11月24日付けビルボードでビートルズの「HEY! JUDE」に替わって、スプリームスにとっては1987年5月に「THE HAPPENING」以来、実に1年半ぶり11曲目のNo.1に輝きます。
さて、なにかと歌詞ばかりが話題になる「LOVE CHILD」、個人的にも最初にスプリームス(当時はシュープリームス)を聞き出した頃はたくさんのヒット曲のうちの1曲で彼女達が初めて社会的なメッセージを歌った程度の思い入れしかありませんでした。やはり、多くのカバーナンバーがあり、日本で育った中学生にでもどこかに耳なじみがあった、H=D=Hの手がけた華やかで親しみやすいヒット曲群のほうを好んで聞いていました。それは当時のミュージックシーンの影響もあったと思います。1980年代といえばモータウンのリバイバルブームの真っ只中、このブームで脚光を浴びていたのがたとえばフィル・コリンズがカバーした「恋はあせらず/YOU CAN'T HURRY LOVE」やキム・ワイルドがカバーした「YOU KEEP ME HUNGING ON」などに代表されるH=D=Hが活躍した1960年代半ばごろのモータウンのヒット曲であったりサウンドであったりしたからです。しかし、HIPHOP全盛の今、フリーソウルというジャンルが確立し、サンプリングなども含めて注目されるようになったのが1960年代後半から70年代初頭にかけてのモータウンサウンド。流行と言うのは恐ろしいもので、モータウンサウンドを支えたファンクブラザーズに光を当てた2002年の映画「Standing In The Shadows of MOTOWN」でもそういった現在のミュージックシーンを反映し、モータウンサウンド全盛だった1960年代中ごろよりもむしろそれ以後の曲が重用されていました。「LOVE CHILD」はサンプリングが流行しだしてすぐ、1993年にいち早くジャネット・ジャクソンの「YOU WANT THIS」に使われています。サンプリングされたイントロの部分を含めたギターのかっこよさが秀逸なアレンジ。アレンジャーンのポール・ライザーが得意とするリズムセクションにストリングスが絡んでくる1970年代のモータウンの得意のパターンもこの曲で原型が誕生したのではないかな。スプリームスらしからぬシャープなバックコーラスは実はアンダンテスによるもので、メリー・ウィルソンとシンディー・バードソングは参加していません。アンダンテスはファンクブラザーズと同じくヒッツビルUSAのAスタジオから生まれた数多くのヒット曲にその声で貢献しながら陽のあたることがなかった日陰の存在。フランク・ウィルソンによれば「彼女達を起用したのはスケジュール的な問題で時間さえ余裕があればメリーやシンディーのコーラスを使っただろう」と言っていますが、現実には「LOVE CHILD」のひとつ前のシングル「愛の終着駅/SOMETHING YOU NEVER GET USED TO」からバックコーラスはメリーとシンディーではなくアンダンテスが担当、以後のシングルもテンプテーションズとの共演曲を除いてメリーとシンディーの声がシングルのA面で聞かれることはありませんでした。ちなみにアンダンテスはマーヴェレッツやヴァンデラスに替わって覆面コーラスとしてレコーディングしていて、モータウンの3大ガールグループを名乗ってレコーディングしていることになります。
注目したいのは、俗に言うところのAメロBメロサビにこの曲を分解して考えるとAメロBメロの部分にはメロディーが譜割してあるもののところどころ印象的な韻を小気味よく聞かせながら基本的に話し言葉に近い抑揚をつけてダイアナが歌詞を歌っているという点です。もともと彼女は話しているのと歌っているのとの境界が非常にあいまいで常に話しながら歌い、歌いながら話すといった表現を得意としていますが、「LOVE IS HERE NOW YOU ARE GONE」(1966年 最高位1位)や「AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH」(1970年 最高位1位)のモノローグ調と一線を画しているのはリズムのキャッチの仕方。これって今でいうところのラップなんじゃないですか。曲を支配する強力なリズムにラップ、そして印象的なサビのコーラスと現在のHIPHOPの原型がほぼ揃い当時としては斬新だったのではないでしょうか?しかもラップの内容には社会的メッセージが含まれていて銃や暴力の代わり(この場合はギャングの抗争ではなくキング牧師の非暴力主義に呼応する形で)として言葉を使っているなんてまさにって気がしてきます。ジャネットがいち早くサンプリングしたのも伊達じゃないですね。これのどこがラップやねん?HIPHOPやねんと思われた方、この曲の続編となる「スラムの小鳩/I'M LIVIN' IN SHAME」になるとさらにその部分がわかりやすく強調されています。それもあって今回は文字数超オーバーになることを覚悟で2曲同時紹介にしました。
「スラムの小鳩」は続編とはいったものの、「LOVE CHILD」リリース後、今度は12月に放送が控えたモータウン制作の初テレビスペシャル番組「TCB」を盛り上げるべく、テンプテーションズンとの共演アルバム「Diana
Ross & The Supremes Join Temptations」(最高位2位)のリリースやそこからのシングルカットとなった「君に愛されたい/I'M GONNA MAKE YOU LOVE ME」(最高位 2位)のリリース(実は「LOVE CHILD」が1位になるのを待つようにしてアルバムより2ヶ月遅れのリリース)、さらに「TCB」(最高位 1位)のサウンドトラックそしてさらにさらに「LOVE
CHILD」をフィチャーしたアルバム「Love Child」(最高位 14位)のリリースと、ファンの財布が悲鳴を上げるようなリリースラッシュを経て、翌年1969年の1月にリリースされています。同じくThe Clanとしてソングライター/プロデューサーがクレジットされていますが前回のメンバーからはデック・リチャーズが抜けています。個人的な注目点は「LOVE CHILD」よりさらにスピードアップして激しくなったラップ部分とそのラップ部分とサビのコーラスの切り替えの激しさ、スタイルとしては完全にHIPHOPじゃないですか(ちとしつこいですが)。ダイアナが歌い上げるタイプでないことが効を奏してますますラップ度が増しているように聞こえるのは私の空耳でしょうか?
しかし、世間的にはどうしても「LOVE CHILD」の2番煎じといった感がぬぐえずビルボードでの最高位は10位にとどまりスプリームスとしては小ヒットにとどまります。同時期にテンプテーションズの同じく社会的メッセージが話題となった強力なサイケファンクナンバー「CLOUD
NINE」(最高位 6位)がヒットしていたことも、比較したときにあらゆる意味ひ弱さが目立ってしまったのではないかと考えられます。まずサウンド的に「LOVE
CHILD」に比べてギターが弱い。これはデック・リチャーズが抜けた影響でしょう。彼はジャクソン5の初期のヒット曲ではメンバーに代わって覆面ギタリストとしてレコーディングではギターを担当しており、あの「I WANT YOU BACK」の印象的なイントロも彼の腕によるものであると知れば実力は押して測るべし、そうなってくると、「LOVE CHILD」のイントロの印象的なギターも彼ではないかという疑いも。ちょうど時期的にファンクブラザーズのギタリストが入れ替わっている時期なので可能性があるのではないでしょうか。そして歌詞が多くのファンの共感を得るというものではなかったのも問題でしょう。
正直言うと、最初にスプリームスを聞き出した頃はどことなくセンチな香を漂わせる「スラムの小鳩」のほうが「LOVE CHILD」より好きでよく聞いていました。しかし、私は甘かった。歌詞をカードでチェックせず(英語力にも問題がありましたが)、単語の聞き取れる範囲で「昔は貧しい生活の中で身なりも気にせずがむしゃらに働く母ママを恥ずかしいと思い、友達にも知られたくなかった、でも今、私はやっぱり貧しさの中で生きていてあのときのママの気持ちがわかるわ」という「貧しさの連鎖」という甘っちょろいテーマをでっち上げて勝手に聞いていたのです。これは邦題にある「スラム」という言葉に引きずられて「I'm living in shame」の「shame」をスラムのことを「shame」とも言うんだと誤解してたことが一番の原因でした。しかし、今、少しはましになった英語力で歌詞を読み返すととんでもない歌の全貌が見えてきたのです。「ママがパンを焼くときはいつも、古いぼろ布のようなスカーフをまいて、ストッキングは丸まって足もとまでずり下がってて、ぐちゃぐちゃの服を着て、どんなにがんばったとしても汚く見えてしまってた。なべから直接食べてたので、フォークや食器を使うこともなかった。私はいつもママがいいとこの友達に見られてしまうんじゃないかと恐れていた。ある日大人になったときにママみたいに自分がなってしまうんじゃないかと恐れていた。」ここまでは表現は過激ながらも想像していたとおりの内容なんですが、ここから少しずつずれていきます。「街を離れて進学すると、私は自分で別の自分を作り上げた。私は上流階級の生まれだということにした。私はメイドと召使に世話されていたと。きっと正気じゃなかったのよ。私はこんな嘘までついてしまった。ママは週末旅行のスペインで亡くなったと。本当のママは家からすらでたことない。まして国境を越える旅行などしたことない。」ちょっと内容が歌詞のとおり狂気じみてまいりました。しかし、こんなことで終らないのです。「私は上流階級の男性と結婚した。彼にはママのことを知られたくなかった。だからママには2歳になる孫がいるというのに一度だって会わせはしなかった。」アフロアメリカンの若い女の子達のロールモデルであるダイアナがこんな歌を歌ってもいいのでしょうか。こんなことなら未婚の母になってくれたほうがましだと世間の親は思うのではないでしょうか。そしてさらに畳み掛けるように不幸がこの歌で歌われます。「ママが死んだと電報が届いた。手作りジャムを作ってる最中だったそうだ。ママは死ぬ間際にこう絶叫した"私のそばに娘がいてくれるのが見えるわ"。」書いているだけで悲しくなってしまうお話ですね。「ママはいつもベストを尽くしてくれてた。料理も掃除も、汚いドレスで床をはいつくばるようにして一生懸命働いてた。」死んでからわかる親心でしょうか。「ママ、私の声が聞こえる?私はあなたがベストを尽くしていたと分かったの。ママが恋しい。あなたは私を許してくれないかもしれな。私のしでかした過ちを。私は恥ずかしい人生を生きている。」そう「I'M LIVIN' IN SHAME」は「私は恥ずかしい人生を生きている」という解釈が正しかったのではないかと思います。歌詞を読むと「恥ずかしい」ではすまされないとんでもない話です。これだけ長々と過激なラップで歌いきる、過激と言うか逆方向にすごすぎる。ラナ・ターナー主演の映画「Imitation Of Life (邦題"悲しみは空の彼方")」にインスパイアされた歌詞だそうですが、メロドラマでは許されても、こともあろうにスプリームスが「LOVE CHILD」の次に歌う曲のテーマではないでしょう。これでは多くの共感を得なかったのも仕方の無い話です。
奇妙な話だと思われるでしょうが、私はこのひどい歌詞の詳細をしって知ってさらに「なんていかした曲なんだ」と思ってしまうのがダイアナ・ロスファンの性。みなさまも、ぜひ、こういった歌詞を知った上でこの過激な2曲を聞き比べていただきたいですね。残念ながらダイアナ・ロス自らのペンによる自叙伝によると、「この2曲はまるでまったく他人の人生を歌わなければならなかったためなじめなかった、好きではない」そうです。はいそうでしょう、ご理解申し上げます。(2005年9月)
収録アルバム
スプリームスのコンピレーションはいろいろリリースされてますが
この2曲が収録されていて比較的リマスターが行き届いているのは
「ANTHOLOGY」(☆☆☆)
ただし「スラムの小鳩」はマスターがかなり痛んでいるようで
良いリマスター盤でも音のひずみが大きいです。
(初期のCDは聞くに堪えないほどひどかったのでかなりましなのですが。)
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