まだまだニュースが続いていますが… マイケル・ジャクソンの突然の死が報道されてからまもなく1週間になろうとしていますが、遺言書が公表されたり、葬儀がどのように行われるかなど、まだまだ報道は加熱気味。公表された遺言書にはダイアナ・ロスの名前が含まれていたと報道されています。もちろん財産が分与されるわけではなく、もしマイケル・ジャクソンの実母に何か問題が発生しマイケル・ジャクソンの3人の子供たちが養育できなくなった時に、ダイアナに子供たちをお願いしたいというものなのだそうです。あらためてマイケルがダイアナに寄せる信頼の深さを知るとともに、自分に何かあったことを想定して子供たちの将来について早くから考えていたことに驚かされ、また、マイケル・ジャクソンの父親としての責任感の強さを垣間見たように思いました。
モータウンレコードがジャクソン5のデビューにあたってすでにスーパースターだったダイアナ・ロスの名前を宣伝に利用するため、「ダイアナ・ロスが才能を発掘した」とエピソードを偽造した話は有名で、実際にはインディアナ州で話題になっていた天才児達をモータウンの総帥ベリー・ゴディJr.に引き合わせたのはグラディス・ナイトだと言われています。しかし、ハリウッドに引っ越してきたジャクソン一家がゴディとダイアナの家に分かれてデビュー準備期間は滞在していたそうですし、高視聴率を記録したダイアナ・ロスの
テレビスペシャルでジャクソン5を大きくフィーチャーし、彼らの売り出しに大きく貢献したのも事実ですので、ダイアナが恩人であることに変わりはありません。
その後、ダイアナ主演の映画「The Wiz」にマイケルが呼ばれたことで、マイケルは映画の音楽担当だったクインシー・ジョーンズと
出会い、あの傑作「Off The Wall」やそれに続くモンスター
アルバム「Thlliler」登場のきっかけとなるなど、ダイアナがマイケルの
キャリアで果たした割合は決して小さくはありません。映画「The Wiz」のサントラ版で共演し、ふたりでデュエットした「Ease On Down The Road」はシングルカットもされました。また、マイケルが
ロンドンでポール・マッカートニーとレコーディングした帰りのコンコルドの中でアイデアをひらめき、テープレコーダーがない機内で作曲したという「Muscles」がダイアナに
プレゼントされ、マイケル&ポールの「
Girl Is Mine」と同時期にヒットさせ、恩に報いました。1985年には再び「Eaten
Alive」という曲をダイアナにし、こちらはビージーズのバリー・ギブとともにバックコーラスでレコーディングにも参加しました。ダイアナはまともに取り合わなかったそうですが、マイケルがダイアナの娘達との
結婚を望んだ時期もそんな蜜月の80年代にはあったのだとか。その後、ダイアナ・ロスが白人男性と2度目の結婚をしたことでマイケルが傷つき疎遠になった時期もあったようですが、公開された遺言状で二人の信頼関係までもが失われていないことがわかりました。そして、ふたりがマイケルの死の直前までちゃんとコンタクトが取れていたことがわかる別のニュースも報道されています。
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posted by Alex at 23:19| 大阪

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ダイアナ・ロス
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